広大なものから小ぢんまりしたものまで、規模の大小に違いはあっても、庭園は眺めることの楽しみを与え、人の心に訴えるものまで創造する。そんな庭園の魅力がホテルや旅館のおもてなしに生きている例が少なくない。
◎文・富田昭次(とみた・しょうじ)
ホテル・旅行作家。近著に『ホテル日航東京 ウエディングにかける橋』、中村裕氏との共著で『理想のホテルを追い求めて ロイヤルパークホテル和魂洋才のおもてなし』(いずれもオータパブリケイションズ)がある。
洗練された趣味を創造する技
前回触れた奈良屋旅館の1 万5000 坪の庭園とは対照的に、小さな庭がお客さまを魅了することもある。坪庭が美しい京都の名旅館・炭屋の主人だった堀部公こう允いんは「私の坪庭」という一文で、坪庭を「座敷の内から座った目線で愉しむために造られた、きわめてパーソナルな庭」と説明し、庭師がいればこそ、坪庭の美しさを保つことができたのだと秘密を明かしている。
「昔から京の庭師たちは、こんな庭づくりが実に巧みであった。わずか二、三坪の空間でさえ彼らの手にかかれば(中略)もう、たちどころに情趣ある景色を構成してしまうのである。こうした技の確かさは、永い伝統がつくりあげた日本の型として受け継がれているので、手馴れた仕事なのだろうが、その洗練された趣味性と絶妙のバランス感覚は尋常のものではない」(内藤忠行著『宇宙のかたち 日本の庭』世界文化社、1998 年)。
同じく京都の名旅館、俵屋。こちらのおもてなしを紹介したNHK・BSプレミアムの「京都 ふしぎの宿の物語」(今年放映)には、こんな男衆が登場する。彼は、庭の日陰の植物であるコケやシダの水やりと掃除が担当なのだが、ゴミやチリは指先で拭うという丁寧な仕事ぶりを見せていた。ほうきを使うと、荒れてしまうからだ。そして「お客さまになったつもりで、部屋から見て整えます」と語っていた。たかがコケやシダ、とは言えないのだ。この男衆に、奥の深い「おもてなしの精神」が感じられた。
庭が旅館の中心だった
改めて言えば、規模の大小にかかわらず、旅館やホテルにおける庭園の存在価値は存外、大きいものであるようだ。
都心の中央にありながらも、閑静な雰囲気を漂わせる庭のホテル東京では、小ぢんまりとした庭でありながら、その名の通り、このホテルを大きく特色付ける存在になっている。
同ホテルの社長で総支配人でもある木下彩さんは、この地で祖父が経営していた旅館・森田館にも庭があったことを自著でこう回想する。
「幼いころに過ごした森田館では庭が旅館の中心にあり、私は毎日庭で遊んだり植栽を眺めたりしていました」(『「庭のホテル東京」の奇跡 世界が認めた二つ星のおもてなし』日経BP 社、2014 年)。
その庭には池があり、草木が豊かに繁っていた。子供心にも落ち着いた心持ちになったという。
そのような思い出がいま、このホテルのおもてなしに生かされているのである。
さらに加えると、宿泊客専用のバルコニー空間にも小さな庭が設けられている。設置の理由はこうだ。
「空中庭園と言うと大げさですが、宿泊者がリラックスできる屋外の空間がほしかったのです」
その結果、「バルコニーの小さな庭は、私たちが予想した以上にお客さまに好評で、他ホテルとの差別化にもなっているようです」と述べている。