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連載 ③ レジャー産業研究会グループ8 ∞“Boys be ambitious”∞ ~少年よ、尽きることなく限ることなく大志を抱け~

連載 ③ 『良い“あそび”、良い体験』をすることは サービス業に携わる者にとって重要なこと

【月刊HOTERES 2018年04月号】
2018年04月20日(金)
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▶さまざまな大学で観光学部を立ち上げようという機運は高まっていますが、学問として教える方が少ないことからなかなか実現できない現状があります。これまで学問より経験重視してきたことが良く分かります。ところで学生時代はホテルでアルバイトなどされていらっしゃったのですか。
 
 大学3 年生のときに、日本に初めて上陸した外国ホテルチェーンHilton International の東京ヒルトンホテル(キャピトル東急ホテルに名称変更、現在 ザ・キャピトルホテル東急)の「ORIGAMI」で学生アルバイトとしてバスボーイをしていました。バスボーイはウエイターの補助業務として食器類を下げたり、テーブセッティングなどを行なっていました。ホテルは国会議事堂近くにありましたので、国の関係者や国内外のVIP、世界を舞台に活躍しているビジネスマンなどが集い、とてもエグゼクティブで良質な雰囲気にあふれていました。「ORIGAMI」の人気メニューだったオープンサンドイッチはとても新鮮で美味しかったという記憶が残っています。
 
▶優雅な時代であり、まさに日本経済の躍動を肌で感じられた時代ですね。ところでなぜ、ホテルに就職されたなかったのですか。
 
 1964 年に開催された東京オリンピックに向けたホテルラッシュにより、過剰供給となってしまったことから、その後の需要とのバランスが崩れホテル産業が低迷してしまったのです。大学3 年生のときです。そして就職活動を開始した4 年生のときにはさらに業界が冷え込み、大学生を募集するホテルが急激に少なくなったことから、大好きなホテル業界の就職は断念し、ホテルを造る建築業界へ方向転換したのです。入社当初は名古屋支店に配属され、その後、本社にて役員の秘書を担当しました。秘書部ではタクシー会社を訪問し、役員がスムーズにいつでも移動できるよう人間関係の構築をするなど、ホテルのサービス業で得た目配り、気配りを仕事に生かすことができました。また大成建設はとても社員にとって恵まれた環境でした。というのは“会社はファミリー”という精神を大切にしていたからです。社員だけではなくその家族もとても大切にしてくれました。よみうりランドを貸し切っての家族も含めたイベントには全国から6000 人が集まりましたね。
 
 家族にとっても一家の主や子どもがとても素晴らしいところで働いていることに誇りを持つことができ、また働いている夫や子どもに対して敬意を表するという家庭円満の構図を作り上げてくれていたのです。
 

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