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連載 ⑤ レジャー産業研究会グループ8 ∞“Boys be ambitious”∞ ~少年よ、尽きることなく限ることなく大志を抱け~

連載 ⑤ ドイツレストラン「ラインゴールド」で 料理長から学んだ奥深いサービス業の魅力

【週刊ホテルレストラン2018年05月11日号】
2018年05月11日(金)
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レジャー産業やホテル業の社会的地位の確立を目指し、心の葛藤とともに戦い続けてきたのが、1999 年㈱東京ドームホテル 代表取締役社長に就任した石田照雄氏だ。2009 年には故郷山形に建つ旅館「萬国屋」の再建にも尽力を尽くした。ドイツレストランラインゴールド店長時代に料理長の教えを機に、レジャー産業に腰を据える決意をしたという。後楽園では、先輩同僚とともに、遊園地イベントとしてロックミュージカルへの挑戦や仮面ライダーズイベントなどを企画、実現させた。常に現状の中で改革していくために挑戦し続けてきた石田照雄氏にこれまで得た学びや今、何をすべきかなどお話を伺った。

レジャー産業研究会グループ8
㈱フィデア総合研究所 顧問
石田照雄氏
〈プロフィール〉1942(昭和17)年4 月生まれ。山形県山形市出身。65(昭和40)年3 月早稲田大学第一法学部卒業。同年4 月㈱後楽園スタジアム(現・東京ドーム)入社。社長室経営企画担当後、後楽園食堂㈱出向、ドイツレストランラインゴールド店長に就任。本社企画宣伝スタッフとして後楽園全域および遊園地イベント企画宣伝を担当。社長秘書を経て、79(昭和54)年㈱熱海後楽園に出向、86(昭和61)年4 月本社開発室を経て、ホテル事業企画室長として大阪、札幌、馬後、舞子の後楽園ホテルの企画建設開業に従事。93(平成5)年4 月㈱東京ドーム取締役ホテル事業企画室長、97(平成9)年4 月常務取締役ホテル建設プロジェクトチームリーダーを経て、99(平成11)年2 月㈱東京ドームホテル代表取締役社長に就任。2004(平成16)年4 月㈱東和工建 代表取締役社長、09(平成21)5 月㈱萬国屋 代表取締役社長、15(平成27)年6 月㈱フィデア総合研究所顧問に就任、現在に至る。

▶ 1965(昭和40)年に早稲田大学を卒業され、当時の㈱後楽園スタジアムに入社されましたが、法学部を卒業されながらもなぜ、レジャー産業の道に進まれたのですか。
 
 私が早稲田大学に入学したころには、戦後結成された学生たちによる全学連を中心とした安保闘争が終焉した翌年のことでした。私自身の気持ちの中で将来が見えず、これからの道を定められなかったときだったのです。当時、東京・文京区にあった山形県育英会が管理をしていた学生寮があり、同郷の3 年上の先輩が就職していたことと、学生寮近くに後楽園スタジアムがありましたので、多くの人たちが訪れ賑わっている様子を見ていました。学卒者の採用もしていましたので、まずは後楽園スタジアムの道を決意したのです。当時は東京の行楽地と言えば東京タワーと浅草、そして後楽園でした。この3 つの拠点は私の言葉で表現するならば東京の神社だったのです。

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