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第9回 対談「女性のしあわせ」 【第9回】㈱白坂企画 代表 白坂亜紀氏 × ㈱スティルサンク 代表取締役 濱野紹央子氏

銀座のママに学ぶ人間力・女子力・経営力》 超一流の接客のプロとして志高く凛とした生きかたを貫き、銀座での成功と家庭との両立を叶える

【月刊HOTERES 2015年12月号】
2015年12月18日(金)
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濱野 白坂さんとは女性経営者と志の高い女性の会「銀座なでしこ会」の一員として出会いました。この会は白坂さんが発起人として立ち上げられたものです。早稲田大学を卒業後、学生時代にホステスとして勤めていたクラブの道を選択され、今もなお銀座のクラブのママとして手腕を発揮していらっしゃいます。はじめになぜクラブの道を選ばれたのか、そこにいたるまでの経緯を含め、教えていただけますか。
 
白坂 私は滝廉太郎生誕の地である大分県竹田市に生まれました。現在、生家は滝廉太郎記念館となっております。その影響で音楽の道も考えましたが、地方にいながらクラッシク音楽の道に進むのはなかなか難しいことでした。そのため音大以外の大学への進学を決め、1985 年早稲田大学に入学しました。東京に来てみると、都会は田舎より女性が働いていないことにまず驚きました。その当時の日本では、“女性の結婚適齢期”というものがしっかりとあり、23、24 歳で結婚退職することが当たり前の時代でした。そして時代はまさにバブルの絶頂期で社用族が銀座を中心に高級クラブを闊歩していた男性中心の時代です。当時、銀座には3000 軒ものクラブがあったので、とてもホステスの数が足りず、女子大生でもアルバイトとして銀座で働くようになりました。そういう時代背景の中、在学中の私も友人から声を掛けられ日本橋にある老舗のクラブでホステスの仕事を手伝うことになったのです。
 
濱野 クラブのホステスになることに対する抵抗についてはいかがでしたか?
 
白坂 田舎の竹田市ではクラブというものを見たことがありませんでしたので、まったく抵抗を感じませんでしたね。そしてしばらく働いているうちに、そこのオーナーママから後継者にならないか? と打診されたのです。四柱推命学を信じている方で七赤金星は水商売に向いているということだったようです。私は丙午の生まれなのですが、その迷信から、働きながらも絶対に結婚して子育てをすることを心に決めていましたので、新卒採用の就職の道も残しておくために、大学を2 年間留年してよくよく考えた結果、水商売の道を決意しました。それは女性が真に活躍できる、まさに実力主義の世界がそこにあったからです。一流のお客さまを獲得するためには相当な努力をしなければなりませんし、経営や人材育成などすべてを行なわなければなりません。腰掛け的な仕事では済まされない女性だからできる真のビジネスであり、そこに挑戦してみようと思ったのです。クラブの仕事はいつもきれいにして内面のセンスも磨かなくてはなりません。女性にしかできない仕事なのです。

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