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第5回 ジャン・メデゥサン ニース料理のレシピ紹介 

第5回  ニースの街の転換期

【月刊HOTERES 2018年06月号】
2018年06月01日(金)
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南フランス ニース名家出身で、パリ育ちのジャン・メデゥサン氏が、独自の体験と家族エピソードを交えた料理に関する書籍を発表する。本誌では、2018 年4 月からメドゥサン氏のニース料理レシピをエピソードとともに連載で紹介していく。

ジャン・メデゥサン
Jean Medecin
〈Profile〉1971 年フランス パリ生まれ。父はオペラビジネスの実業家、母はオペラ歌手。南仏ニースのジャン・メデゥサン通りはかつて同市長であった祖父の名に由来。叔父ジャック・メデゥサン氏は料理本を執筆し世界的ベストセラー。食文化や料理を愛する過程環境に育ち、幼少期よりたびたび家族とともにニース料理に親しむ。金融ビジネスを手掛けるかたわら料理本を執筆。
Instagram NICE_MEDECIN

 1928 年に私の祖父が市長選挙に当選しましたが、その前は、ニースの観光シーズンと言えば冬で、イギリス、アメリカ、ロシアのブルジョワや貴族が街の丘に建つ大邸宅に避寒のために滞在していました。そのころ、街の中心部の方はと言えば、観光客は少なく、夏は皆無でした。祖父は、街の発展のためには、中心部に何らかの、1 年中続く経済活動を発展させることが必要だと直感で感じました。そこで、海に面した桟橋全体を再整備するという大事業を計画しました。この桟橋は「プロムナード・デ・ザングレ」と呼ばれ、当時はまだ曳船道のようなものでしかありませんでした。その再整備計画は、海へ開かれた街にして、浜辺に夏季観光産業を起こし、街の観光を再生させることを意味しました。プロムナード・デ・ザングレの一部が開通して今日の姿になったのは1930 年のことです。そして、その後、延伸が少しずつ実施されて、特に私の叔父は空港までつながる区間を整備しました。
 
 こうした政治的な発意は、ニースという街の様相と運命を変えました。「プロムナード・デ・ザングレ」の整備のおかげで、この遊歩道に面した場所に多くのホテルや瀟洒(しょうしゃ)な邸宅が建ち並ぶようになりました。実際、ニースが歴史的にずっと海に開かれていたわけではないという事実を示すものが今も残っています。ニース歌劇場の建物がプロムナード・デ・ザングレの海側を背にして(GoogleMaps で確認できます)建っていることです。正面入り口は陸側のサンフランソワ・ド・ポール通りrue St François dePaule にあるのです。

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