星のや東京が昨年館内に開いた「鮨 大手門」は、都心の日本旅館という舞台で江戸前の粋と地方の鮨文化を束ねる。湯上がりに裸足、館内着のままカウンターに座り、酒肴から握りへと進む構成が特徴だ。外部名店の予約難を越え、滞在の食を館内で完結させる狙いは何か。池上総支配人に、立ち上げの手応えと十年先の旅館像を聞いた。職人技と旅館サービスをどう融合し、凛とした空気と気楽さを両立させるのかにも迫る。現場の言葉で追う。
王道の鮨で、需要を館内価値に変える


――星のや東京はこれまで「Nipponキュイジーヌ」で高い評価を得てきました。今回、あえて王道の「鮨」を選択された最大の狙いはどこにありますか?
一番は、ゲストの明確なニーズです。フロントに寄せられるレストラン手配のご要望の中で、鮨が圧倒的に多い。ただ、東京の名店は予約が取りづらく、たとえ手配できても直前キャンセルなど運用上の難しさが残ります。滞在の満足度を食で左右される以上、「外にある名店」に左右されない体験を館内に持ちたいと考えました。
もう一つは、連泊のお客さまに向けた食の選択肢です。メインダイニングで旅館ならではの料理を楽しんでいただいたあと、別の夜に東京らしい王道を求める方は多い。そこで鮨を館内に用意できれば、移動や服装の準備といった負担を減らしつつ、食体験の幅を広げられます。鮨を足すことで、星のや東京の滞在価値全体を底上げする。そんな位置づけです。
店はカウンター八席、17時30分と20時の二回転という小さな設計です。料金はおまかせのみで1名36,300円(税・サービス料込)。席数を増やして量で取りに行くのではなく、滞在の中核体験として丁寧に磨き込むためのサイズ感にしました。
職人のこだわりを、サービスが翻訳する


――鮨職人と旅館のサービススタッフ。異なる文化を持つプロフェッショナルを、一つの「星のや」というチームとしてどう融合させていくのでしょうか。
鮨は、言葉がなくても成立するほど完成された文化です。一方で星のや東京が目指すのは、きちんと伝える鮨です。産地や旬、仕事の意味、食べ方のポイントまで、伝えてこそ日本文化としての体験価値が立ち上がると考えています。
そこで鍵になるのが、サービスによる通訳・翻訳です。職人が当たり前に使う専門用語や微妙なニュアンスを、ゲストの背景に合わせた言葉に置き換える。英語対応も含めて、料理とサービスのコミュニケーションは必須です。そっけない鮨屋が多いと言われる中で、丁寧に伝えること自体が差別化になります。
料理は握りが主役ですが、日本料理の技術を生かした酒肴にも力を入れています。握りに入る前に、だしや火入れ、季節の移ろいを感じられる一皿を重ねることで、日本料理としての導入をつくる。結果として、開業から一年目でも高い満足度につながっている手応えがあります。
来店の7〜8割は外国籍ゲストです。だからこそ「おいしい」で終わらせず、文化としての意味を持ち帰っていただく必要があります。職人の言葉をそのまま訳すのではなく、相手の国の食体験に引き寄せて説明する。これを属人化させないため、言い回しや用語の共有、当日のストーリーをチームで蓄積していくことが、運営の骨格になります。
凛とした空気と、湯上がりの気楽さを両立する所作
――高級鮨店には一定の緊張感が伴うものですが、「湯上がりの寛ぎ」と「鮨屋の凛とした空気」を両立させるために、現場のスタッフに求めている振る舞いとは?
緊張感は、押しつけるものではなく、自然に生まれるものだと思っています。職人の佇まい、カウンター越しの所作、言葉の選び方。こうした積み重ねで、場の凛はつくられます。
一方で星のや東京は旅館です。温泉に入って、お化粧を落とし、館内着で、裸足で行ける。ここにホテルや街場の鮨店にはない気楽さがあります。だからこそスタッフには「丁寧だが身構えさせない」振る舞いを求めています。たとえば最初の一声は、形式的な説明ではなく、その日の流れをやさしく案内する。ゲストが緊張していると感じたら、会話の温度を少し上げ、文化背景が異なる方には「なぜそうするか」を補足する。凛とした空間を守りながら、距離を詰めすぎず、離れすぎない。難しいですが、旅館のサービスが得意とする領域です。
湯上がりの導線は、単に楽というだけでなく、滞在の物語をつなげます。「風呂→一杯→鮨→就寝」という流れが成立すると、食が点ではなく線になり、旅館体験として記憶に残ります。
若手に必要なのはマルチタスクをベースにした提案力


――若い世代のホテルパーソンにとって、こうした新しい挑戦はどのような刺激になるとお考えですか?
日本旅館の仕事は、実は学びの密度が高い。星のや東京は「塔の日本旅館」として各階にお茶の間ラウンジがあり、フロア当たりの客室数も限られています。だからこそ、お一人おひとりに手が届く接客ができる半面、待っているだけでは価値が伝わりません。滞在体験をこちらから提案して初めて、旅館の魅力が立ち上がります。
鮨 大手門は、その提案力を鍛える格好の教材です。江戸東京文化、日本料理、鮨の技法と歴史。学ぶ対象が多いぶん、スタッフは自然と「言語化」を求められる。マルチタスクをこなすこと自体が目的ではなく、学んだことを目の前のゲストに合わせて提案する力へ変えることが重要です。若手にとっては、自分の言葉で日本文化を語れるようになる機会になりますし、それはどの現場でも通用する武器になります。
未来の日本旅館は、食で総合体験を完成させる




星のや東京 総支配人 池上 真敬氏
――池上総支配人が考える「未来の日本旅館」において、食体験が果たすべき役割についてお聞かせください。
旅館とは、日本文化の総合体験ができる場所です。温泉、お茶の間、室礼、もてなし、そして食。ここが分断されると、旅館の価値は薄まってしまう。いまは泊食分離が進み、外食に出ること自体は悪いことではありません。ただ、星のや東京としては、滞在のどこかで「館内で食を体験していただく」ことが、旅館の理解につながると考えています。
立ち上げ期はいまのように外来も一部受け入れ、コメントや評価を蓄積しながら、価値の伝え方を磨く段階です。ただし稼働が安定すれば、宿泊者の体験を優先する設計へ戻していく。旅館の私的な時間を守るために、どの時点で切り替えるかを含め、運営としての判断軸を明確にしていきます。
十年の展望で言えば、星のや東京が高級ホテルとしてではなく日本旅館として認知されることが重要です。そのために、チェックイン時のオリエンテーションから提案の仕方を磨きます。温泉に入っていただく、各階のお茶の間ラウンジで季節を感じていただく、その流れの中で鮨も位置づける。体験をきちんと味わってもらうための見せ方と提案を、運営として標準化していきたい。
鮨は世界的に強い言語です。だからこそ王道を選び、旅館体験の中に置いた。鮨は、星のや東京が次の十年に向けて、食を通じて旅館の価値を再提示するための一手だと思っています。
星のや東京
東京都千代田区大手町一丁目9番1
https://hoshinoresorts.com/ja/hotels/hoshinoyatokyo/
聞き手・構成・文 本誌:義田真平




