ホテルメトロポリタンエドモント 統括名誉総料理長 中村勝宏氏
㈱オフィス・オオサワ 取締役 大沢晴美氏
はじめに
以前、このホテルレストランの誌面で十六名の食のエキスパートの方々と対談させて頂いた。このことはかけがえのない財産となっている。そして改めて食の深さを知ることとなった。今日、世界的にさまざまな問題が生じ混沌として厳しい時代となった。しかし私どもはいかなるときも食と向かい合ってゆかなければいけません。この度の対談の再開にあたり、新しい視野の元、敬愛する皆さまと互いの胸に響きあえる対談を心してまいりたい所存です。
地方食材とAOC
食材の世界におけるテロワール
中村 当初、私が一番疑問に思ったのは、ヌーベル・キュイジーヌの騎手にポール・ボキューズさんが持ち上げられていたことです。ボキューズさんはポワンさんの直系の中心人物で、常にフランス料理の本流を貫いてきた方で、いわゆる基本から外れることなく、クラシックなフランス料理の原点をしっかり守ってきた料理人です。ですから、ヌーベル・キュイジーヌとは明らかに違うと感じていました。
大沢 そうですね。とても不思議な感じがしました。ただ、「その日の食材を大事にする」というところは、ヌーベル・キュイジーヌに取り入れられていたかもしれません。そしてヌーベル・キュイジーヌの後にテロワールが来たように思います。
中村 そうですね。ヌーベル・キュイジーヌの後、当時リヨンを中心としてボキューズさんたちが以前から提唱されていた「キュイジーヌ・マルシェ(市場からの料理)」の短い期間を経て、当時50 歳で引退すると公表していたロブションさんに次いで不動の地位を築かれたアラン・デュカスさんの目覚ましい活躍などもあり、「キュイジーヌ・メディテラネ(地中海料理)」が中心となりました。それらの総意がテロワールということであったと思います。
大沢 そうですね。そして彼らがそうした料理を提唱していたのと時を同じくして、食材生産者の世界では、フランスではAOC が広がるわけですよね。1968 年ごろ、料理の世界でヌーベルが出てきた時期に、社会的には学生運動「五月革命」がありましたでしょ? 70 年代に入って、学生運動にかかわった人々が地方に帰っていく。その人たちがその土地の見捨てられていた食材を立ち上げるという、地に足の着いた運動を行なうわけです。ゲランドの塩などがまさにそうで、あそこの組合長もかつては学生運動のリーダーの一人でしたね。
中村 日本でも似通ったことがありますよね。それだけ彼らは「生きる」ことに真剣で一生懸命だったと言えます。
大沢 そうだと思いますね。それでそういうことに呼応したのがシェフたちで、あのころ、皆さんゲランドの塩を使っていたじゃないですか。
中村 今はすっかり落ち着きましたが、当時はすごかったですね。でも実際、そこまで価値のある品質でしたからね。
大沢 来日するフランス人シェフたちがトランクにいっぱいにゲランドの塩を詰めて、知人の日本人シェフたちにあげて喜ばれました。そういうふうに、すごく食材というものについて、生産者とシェフが一緒にやって来ていましたよね。私はテロワールの料理の時代というのは、しかるべくしてヌーベルの後に来たのだとすごく思いましたね。
中村 まさにその通りですね。地方に行くとずっと以前からテロワール中心の料理が作られていたことは言うまでもありません。私が70 年代はじめにアルザスの小さな村のレストランで働いていたときも、そこの主人はよくコルマールの市場に買い出しに行っていました。しかしそこから改めて「テロワール」が強調され始めたのは、自分たちの地元の食材の素晴らしさをもっと多くの人々に知ってもらおうとフランスの地方の名のあるシェフたちが立ち上がったことが発端だと思われます。
大沢 そこの地方独特の食材がなければなくなってしまうということがシェフたちの危機感につながって、マルコンさんなんかもレンズ豆をものすごくバックアップされていましたね。レンズ豆がAOC を取れたのも、マルコンさんが皆に「皆でレンズ豆の料理を作ろう」という呼びかけを行なったことが大きかったと思います。レンズ豆というのは、昔は学生食堂にどかっと置いてあるような食材でしたので、もともとはガストロノミーの食材ではなかったですよね。インゲンにしてもレンズ豆にしても、皆70 年代から10 ~ 20 年かけてAOC を取得していくという活動があちこちで行なわれていました。生産者の方とそれに呼応していったテロワールのシェフたちというものが、フランスのガストロノミーを今日にいたるまで支えてきているのだと思います。
中村 その通りですね。地方のシェフたちが自分たちの地域の食材の素晴らしさを認識し、それをなんとかしようという気持ちが募り、そういう思いが大きなうねりとなり、AOC 制度拡大につながったのだと思います。この食材の生産者に対する思いやりの心情こそが、フランスの食文化の素晴らしいところです。