「花園に行きたいか!」このセリフに聞き覚えのある40 代以上の読者は多いだろう。熱血先生と不良学生たちが、ラグビーを通じて心を通わせあうというストーリーが涙を誘った某ドラマである。その中に、不治の病に倒れた部員がデザインしたユニフォームが出てくる。このユニフォームをはじめ、多くの衣裳をテレビや映画に提供しているのが東京衣裳株式会社である。同社社長の川田氏は、先々代が創業した同社を継いだ、いわば三代目である。2006 年に副社長、2009年に社長就任後は、積極的にIT 化を推進し、労働環境の改善にも積極的に取り組んできた。しかし、当初は会社を継ぐつもりはなく、テレビの仕事にのめりこんでいたという。
普段はあまり意識することがないが、実はホスピタリティ産業にとって、衣裳はとても重要な存在である。今の時代に合わせつつも、伝統を軽んずることなく衣裳製作をしているからこそ、こうした重い役割を担うことができている。川田社長からはそうした責任感がしっかりとにじみ出ていたのが印象的であった。
衣裳というビジネス
徳江 まずは、御社の事業展開についてお話いただけますでしょうか。
川田 弊社は、テレビや映画、舞踊、その他芸能全般の衣装製作と貸し出し、そしてコーディネート業務を中心に、ホテルのブライダル衣裳、式服のレンタル、きもの学院の運営、アミューズメント施設の衣裳など、とにかく「衣裳」というキーワードのものはなんでも貸し出すことを事業としております。
徳江 私たちにとっては、やはりテレビや映画などのテロップでおなじみですね。創業はいつ頃なのでしょうか。
川田 1933( 昭和8)年に、祖父の川田藤一郎が東京衣裳部として創業し、戦後1951(昭和26)年に会社組織になりました。1953(昭和28)年のテレビ放送開始と同時に衣裳部門を担当するようになり、これが現在でも基幹事業となっているわけです。
徳江 NHKと民法キー局はすべて衣裳室がありますね。
川田 はい。各局に置かせていただいています。ドラマやバラエティ番組の多くは、弊社の衣裳が使われていますよ。