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第11 回 平尾彰士  出会いの不思議な力 ~人生を変える出会いは誰にでもある~

第11 回「ウェスティンホテルの歴史」

【月刊HOTERES 2016年09月号】
2016年09月09日(金)
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平尾彰士(ひらお・あきお)
1940 年2 月6 日生まれ。67 年11 月、サンフランシスコ都ホテル副支配人就任。70 年6 月、東京にウェスティンホテルのセールス事務所設立。リージョナル・セールス・マネージャー就任。85 年9 月、ウェスティンホテル&リゾート、アジア地区セールスオフィス副社長就任。2001 年1 月、スターウッドホテル&リゾート、日本・韓国・グアム地区統括社長就任。06 年4 月、日本スターウッドホテル㈱会長就任。同12 月、同社定年退職。08 年4 月、立教大学観光学部特任教授。10 年3 月、立教大学退職。現在ヒラオアソシエイツ代表。

 ビジネスの多くの成功者が、年を重ねて思うことがある。「今の自分があるのは、あの時、あの出会いがあったからだ」と。日本人で初めて、スターウッドホテル&リゾート日本・韓国・グアム地区社長に就任した平尾彰士氏。本連載を通して、平尾氏が経験したことをもとに、次世代の経営者や若いホテリエにメッセージを伝えていく。
 
 
大変革の時代(1980 年代)後編
 アレジスの子会社の中で最大のユナイテッド航空は、従業員組合が中心となり、彼等の株主制度をうまく使って自分たちの会社を買収するという形でアレジスと話がまとまった。
 
 その他の子会社のハーツレンタカー、ウェスティンホテル、ヒルトンインターナショナルの売却に関しては、投資銀行ファーストボストンを仲介役として外部の投資家と話し合いが続けられた。最初に契約が締結されたのはヒルトンインターナショナルで、ホテルや賭博場などを運営している英国の大手レジャー会社ラドブロックに10 億6000 万ドルで売却された。アレジスはその半年前に9 億7500 万ドルでヒルトンインターナショナルを買収したばかりであるから、わずか半年で8500 万ドルの利益をあげたわけである。実はこれには裏話があり、アレジスとウェスティンも共同でヒルトンインターナショナル競売に入札したのだが、ごくわずかの差で逃したようである。ウェスティンとしてはこの二大ホテル会社が合併できれば将来世界的なホテルチエーンとして十分に競争できると考えていたようである。
 
 次に売却されたのはハーツレンタカーであった。1985 年に5 億7800 万ドルでアレジスに買収された会社が1987 年10 月に13 億ドルでフォード自動車系列のパークリッジに買われた。2 年間でなんと7 億2200 万ドルの利益である。
 
 最後に契約が完了したのはウェスティンホテルであった。

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