大正時代に建造された本館。数年前までは湯治宿として利用していたが、いまでは個室料亭として使用している
倒産や廃業で軒数が減り続ける旅館業界の中にも、きらりと輝く個性を持ち、まっとうな経営を行なっている宿がある。本連載は、旅館総合研究所の重松所長が、自身の目で優れた宿を厳選し、取材し、写真と文章で紹介する連載企画。第八回は、宮城県・鎌先温泉「湯主一條」。創業1428年という超老舗旅館であるが、「伝統を堅持し、スタイルを曲げない」というスタンスとは真逆で、時代のニーズに合わせたサービスを斬新なアイデアで次々と生み出している。数々の逆転の発想が奏功している繁盛旅館である。
あらゆるビジネスには二つの考え方がある。一つは、「お客さまの声に耳を傾け、提供する価値をそれに合わせる」という考え方。もう一つは、「自分たちが提供したい価値を提供する」という考え方である。マーケティング用語で言うと、前者は「マーケット・イン」の発想で、後者は「プロダクト・アウト」の発想ということになる。そして、たいていの場合、後者の発想による価値創造は大きく空振りすることが多い。
ところが、「湯主一條」の場合、自分たちが提供したいサービスを提供して成功している。空振りどころか、ヒットを連打しているのだ。しかも、やりたいことだけではなく、「仕方なくそうするしかない」という場合でも、発想の転換を試みて、実に斬新なアイデアで魅力に変えて提供して顧客満足につなげている。
例えば、湯主一條の駐車場から宿までは急な坂道を上る。距離にしてほんの200m ちょっと。歩けなくはないが、そこを車で送迎している。しかも、高級車であるレクサスを利用。お客さまのワクワク感は、これで一気に高まる。
細い路地が入り組む温泉街と、複雑なつくりの迷路のような館内はまるで森のようである。動線も非合理的。そこを逆手に取って「一條の森」とうたっている。お出迎えするスタッフは、お客さまに「一條の森にご案内します」と伝える。
大正時代と呼ぶのは大正14 年から昭和初期にかけて建築された本館のこと。2003 年に20 代目の一條一平氏が宿を継承する前には湯治宿として使っていた本館を、湯治客が少なくなったため、今は個室料亭として使っている。客室のあるモダンな別館から「時の橋」と名付けた渡り廊下を通って本館に足を踏み入れる瞬間、お客さまは大正時代にタイムスリップした感覚を覚える。
マーケティングという概念が普及したせいか、現代の経営者はお客さまの声に耳を傾けすぎて振り回されてしまっているケースをよく見かけるが、来てほしいお客さまに来ていただき、自分たちが伝えたいサービスを伝えるというのが本来の旅館の在り方のように思う。そんなスタンスを貫いている湯主一條には、学ぶことが満載だ。
スタッフのユニフォームはスーツ。これも、機能性を重視した判断だが、結果的にお客さまには好印象を与えている
到着されたお客さまがまず供されるのは、女将が「最も大事にしている一つ」としているお茶と宮城の郷土菓子「ずんだ餅」。袋入りではない生菓子を提供し、手作り感を演出している
このほか、本誌では「湯主一條」20代目の一條一平社長と女将の一條千賀子氏のインタビューと旅館総合研究所所長の重松正弥氏の分析が掲載されています。詳細は本誌をお買い上げいただくか、電子版にご登録ください。
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