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楽しく調理しないと、おいしい料理は絶対にできない。 ハレクラニ沖縄カリナリーチームの人を育てる環境づくり

楽しく調理しないと、おいしい料理は絶対にできない。 ハレクラニ沖縄カリナリーチームの人を育てる環境づくり

2020年03月17日(火)
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楽しく調理しないと、おいしい料理は絶対にできない。
ハレクラニ沖縄カリナリーチームの人を育てる環境づくり

ハレクラニ沖縄 レポート4その1
 
全国各地からスタッフが集まり、そしてそのスタッフたちがイキイキと働くハレクラニ沖縄。
前回のレポート3では宿泊、料飲、調理の三部門の部門長のインタビューを通じ、どういった意識で働いているか、また職場の環境づくりにはどういったこだわりがあるのかを聞いた。
今回のレポート4からは実際に現場で実際に働く方の声をお届けする。レポート4その1
は、副総料理長 兼 House Without A Key 料理長の中村 健介さんと、同じく House Without A Keyに勤務する原田 雅之さん。なんとこの二人は、中村さんの前職である調理師専門学校で先生と生徒だったという関係。ハレクラニ沖縄を選んだ理由や、魅力、モチベーションなどについて聞いてみた。

 
 
副総料理長 兼 House Without A Key 料理長
中村 健介さん
 
調理部 House Without A Key
原田 雅之さん
 
 
副総料理長の前職は“先生”
 
副総料理長の中村さんは、数々の一流レストランを経験したのちに調理師専門学校の教員をしていたという珍しい経歴を持つ。まずは新卒で第一ホテル東京ベイ(現ホテルオークラ東京ベイ)に入社、その後タイユバン・ロブション、フランスのピエール・ガニェール、六本木ヒルズクラブ、ロテルド比叡、シャングリ・ラ ホテル東京を経て、オリエンタルホテル 東京ベイに勤務する傍ら、数ヶ月に一度、外来講師として新宿調理師専門学校の教壇に立っていた。その際に学校長から「一緒に料理人を育ててみないか?」と声をかけられたという。
 
その時、中村さんは40歳。現場で20年のキャリアを積み、60歳までの残りの20年をどう過ごしていくか悩んでいた。
 
当時の調理業界は離職率がとても高く、その原因を、現場の厳しさを教えていない学校がたくさんあることだと感じていた中村さんは、自身の経験してきたリアルな調理の現場経験を学生に伝えることが、調理業界にとって価値のあることだと決意し現場を離れた。

 


副総料理長 兼 House Without A Key 料理長 中村 健介さん

こんなカリナリーチームがあるのか!
若手、先輩が相互に支え合う環境
 
今回のインタビューを中村さんと一緒に受けていただいた原田さんは、なんと中村さんが調理師専門学校にいたころの教え子でもある。
 
教員時代の中村さんのことを「オーラがありとても怖かったです(笑)」と話す原田さんは、中村さんの勧めもあって、新卒でシャングリ・ラ ホテル東京に入社。4年間の修行期間を経てハレクラニ沖縄に入社した。
 
中村さんは、なぜ原田さんにシャングリ・ラ ホテル東京を勧めたのか?
 
「原田はカッコつけで、女性にもてたがっていたから(笑)」
 
と話す中村さん。笑ってはいるが、実はこれには重要な意味がある。
中村さんは、一部の教員にありがちな “就職させたら終わり” とは考えていない。学生一人ひとりの個性を考え、適切なホテルやレストランを勧めていたという。
右も左もまだわからない学生の判断だけで決めさせるよりも、料理長の顔や組織文化までわかっている教員が学生の進むべき道を示すことで、学生はもちろん、受け入れ側もハッピーになる取り組みをしていたのだ。だからこそ、中村さんは原田さんの性格まで分析し、シャングリ・ラ ホテル東京を勧めたのだ。そこまでしている学校、教員は決して多くはない。実際に現場にいる時にミスマッチで学生、受け入れ側双方が不幸になっているのを見てきたからだ。
 
そんな中村さんがなぜ教員の道から再び現場に、ハレクラニ沖縄に来たのか。
それは、髙橋総料理長の存在が大きかった。
 
以前、六本木ヒルズクラブでともに働いた髙橋総料理長は、別々の場所で働くようになってからも、中村さんの料理人人生のターニングポイントでいつも現れ、助けてくれたという。そのかけがえのない恩人が自分を求めている。迷う理由はなかった。
しかも、ハレクラニという歴史あるブランドを何もない状態から創り上げるという一度しかない機会。最初で最後のチャンスだと感じ、家族の後押しもあり、単身沖縄へ来た。
 
一方で、原田さんはというとシャングリ・ラ ホテル東京ではバンケットキッチンにて3年、最後の1年はクラブラウンジにて朝食の提供をしていた。その時のことを「自分の土台作りの期間でした。周囲がいかにスムーズに仕事を進められるか、予測して動いて、料理人としての基礎を学ぶ時間でした」と冷静に振り返る。
 
そして今回中村さんの誘いもあり、ハレクラニ沖縄にジョイン。
 
「今は中堅として、うまく上と下のバランスを取ることを意識しています。料理のクオリティーはもちろん、過度な残業が発生しないように、どうすれば効率よく業務を回せるか、いい職場環境をつくるためにはどうすればよいかを考えています。後輩だけではありません、上司や先輩もきちんと休みを取れるようにと、若手で協力し合ったりもしています。」
 
素晴らしいチームワークを、まだ26歳の原田さんが支えている。
 
やりがいを聞くと、以前はなかったオープンキッチンで、直接お客さまとコミュニケーションがとれることだと話す。直接「おいしかった!」と言われる喜びは、料理人であれば誰しも思うこの仕事の醍醐味だ。将来の目標を聞くと「ホテルのシェフになりたいです。そのために、自分は今、何をすれば良いのかを客観的に見つめながらこれからもやっていきます。また、職場ではシェフ自ら直接仕事を教えてくれるので、自身のモチベーションもあがります」と、充実しているようだ。
 


調理部 House Without A Key 原田 雅之さん

仕事を楽しみながら進化するカリナリーチーム
 
そんな若いスタッフの未来の希望を育てている中村さん。
 
「オープンキッチンですから、お客さまの喜ぶ顔を見ることができればもちろん嬉しいですが、一方で、良いものを出し続けなければいけないという思いは常にあります。ありがたいことに開業以来料理に関する口コミは好評ですが、料理のクオリティーは常に維持向上させていかなくてはなりません。でも、それをプレッシャーではなく、楽しめる環境づくりを大切にしています。楽しく調理しないとおいしい料理はできないですから」
 
楽しさと同時に中村さんが大切にするのは、進化することでよりクオリティーを高め、同時に生産性を向上させていくことだ。
 
「カリナリーチームでは、若手からの提案も良いものであればどんどん取り入れます。誰でも意見を言える環境を大切にしていますし、今までのやり方が本当に正しいかどうかを常に考え、工夫し生産性を上げることも大切にしています」
 
支え合い、それでいて一方的に甘えることはなく、皆で進化をしながら、個人、チーム双方が成長をしていく。こうした素晴らしいカリナリーチームが、日本にどのくらいあるだろう。
 
評判高いハレクラニ沖縄の料理の裏には、このような素晴らしいチームの存在があったのだ。

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本レポートは全5回です。

レポート1沖縄にやってきた世界屈指のリゾート 「天国にふさわしい館」が沖縄へ

レポート2なぜハレクラニのスタッフはイキイキとしているのか? 沖縄だけでなく全国から人が集まる理由とは?

レポート3その1こんなに楽しく働くことができるホテルは他にはない。「日本一ハッピーなホテル」だと自信を持って言える。
      その2目指すは世界を代表するラグジュアリーリゾート。 若いスタッフが大きく成長できる環境がここにある。
     その3チーム・チーム・チーム!

レポート4その1 楽しく調理しないと、おいしい料理は絶対にできない。 ハレクラニ沖縄カリナリーチームの人を育てる環境づくり(今回)
     その2 「顔がやさしくなったね」 心に余裕ができ、やさしくなれる。 そんな環境がここにある。

レポート5その1 東京から沖縄へ移住! わくわくする魅力的な場所で自ら率先して動くことができるホテリエに 
     その2 「大好きな仲間がいる」ハレクラニ沖縄の理想的な環境

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