「持たないゆたかさ」が次第に注目されるようになってきた現代社会において、ホテルや旅館の寝具をレンタルの形で提供する「プロレンタルサービス」が注目を集めている。この仕組みの提案を推進しているのは、日本のマーケットにおける羽毛ふとんの変遷を見続けてきた(株)コンフォートアライアンスの取締役会長を務める佐藤雄三氏。羽毛ふとんの歴史と将来に向けた可能性とともに、ホテル、旅館における寝具に対する新時代の考え方を聞いた。
聞き手・本誌 太田進、村上実/構成 長谷川耕平/文 高澤豊希/撮影 林正
2016 年2 月18 日(木)にHCJ2016(会場:東京ビッグサイト)の東4ホール特設会場で、佐藤会長と小社村上ほかで、「日本の宿泊施設の未来を変えるプロレンタル(仮題)」の対談を開催予定
独自のマニアックな道を
歩んできた日本の羽毛ふとんマーケット
□羽毛ふとんの販売ルートの変遷について教えてください。
日本に羽毛ふとんが本格的に導入されたのは、1979 年ごろのことです。それ以前はぜいたく品とみなされ、物品税対象商品となっていました。そのため世の中のイメージは、「羽毛ふとんは高いもの」というものでした。そのこともあって、羽毛ふとんは寝具専業ルートではなく、説明講習販売のルートから入ることになったのです。
その後、1980 年代前半あたりから専業ルートでの取り扱いがスタート。1992 年の円高によって輸入の羽毛布団が安価で入ってきたことで爆発的に普及し、そこから急速に広まっていったのです。
流通ルートの変遷をあらためて見てみると、説明講習会から始まり、専門店、百貨店とつながって、1980 年代末あたりから量販店へと移っていきました。当時の人口動態は3%の富裕層と95%の中流層という構造で、このような社会ではGMSという業態がとても成長します。その後はパワーセンターやカタログ通販が伸びていきました。
現在はインターネットとテレビ通販がシェアの約70%を占めるマーケットになっています。社会の変化とともに、羽毛ふとんの販路もまた移り変わってきたのです。
□そもそも羽毛ふとんはどのような歴史を持っているのでしょうか。
羽毛ふとんの先進国と言われているのはドイツです。ゲルマン民族には11 月11 日の聖マーティンの日と12月24 日のクリスマス・イヴに、ガチョウの丸焼き料理を食べる習慣があります。ですからまだ鉄のカーテンがあったころ、ハンガリーやポーランドにおけるガチョウの生産量はとても大きく、その肉の99%はドイツに輸出されていました。そのガチョウの羽毛を使うところから、羽毛ふとんの歴史は始まっています。
ドイツの品質規格である従前のRALによると、羽毛ふとんのグレードはダウンの容積率によってハーフダウン、スリークォーター、フェザリーの3 段階に分かれています。
日本の場合、とにかく羽毛ふとんは高価に売らなければならないという考え方で展開してきたものですから、ドイツの最高品質以上に重量比率で ダウンの割合を上げてきました。実はダウン率を上げても品質にはそれほど差が出ません。それにもかかわらず、価格は高くなっていきました。
世界的に見て、日本ほどマニアックに羽毛ふとんを造る国はありません。高級品として羽毛ふとんを販売していくために、他国にはないものをひたすら作ってきたわけです。