シャンパンブランドを守る委員会を参考に、日本酒の価値を向上する組織体を創った
島田 世界中で乾杯に使われているシャンパンが、awa酒の発想につながったのですね。
永井 2003年から awa酒の開発を始めました。シャンパンの製法の本を取り寄せて、ガス気圧を上げる仕組みと必要なおり引きのやり方を習得していきました。なおかつ世界に売るには生の状態では駄目で、火入れをする必要があります。ガスがかかったものに火を入れるというのはリスクが高い。開発途中で累計 3000本ほどの瓶を割ってきました。
awa酒が商品として完成したのは2008年です。5年間で 700回ほど失敗を繰り返しましたが、ここにもストーリーがあります。2006年までに 500回ほど失敗していたのですが、その時点で考えられる理論はほぼつぶしていて出口がまったく見つからなくなりました。そこで1カ月間シャンパーニュまで足を運び、シャンパンメーカーと民間の研究所を見学させていただきました。
シャンパンの蔵で、私はあることに気付きました。それは当たり前すぎて本には載っていない要素でしたが、awa酒の開発の大いなる糸口となりました。
島田 その要素とは何だったのですか。
永井 セラーの温度です。「地下の蔵の温度はとても低い」ということがポイントだったのです。もろみが最も活発に発酵する温度が何度なのかという考え方をベースに追求すればいいのだと腑(ふ)に落ちたのです。
awa酒がほぼ完成に近付いてきたときに「特許を取ろう」と考えました。なかなか難しかったのですが、最終的には特許を取得できました。その上で 2008年、本格的な awa酒の発売に至ったのです。
島田 その努力がなければ、今の日本酒業界も今とは違う姿になっていたのではないでしょうか。
永井 もう一つ、私が大きな影響を受けたのは「シャンパン委員会」というシャンパンブランドを守る組織体の存在です。運営の年間予算は 20億円ですが、公的資金は入っていないそうです。メゾンのシャンパンの出荷量とブドウ農家の収穫高に応じた賦課金で運営されているのです。
おそらくメゾンの方が農家よりも圧倒的に多額の賦課金を納めているのだと思うのですが、最高決定をする10人の理事メンバーはメゾンが5人、農家が5人と完全に平等になっていて、これもフランス人らしいやり方だと感じました。いつか日本でもこういう組織体を創りたいとずっと思ってきました。その精神のもと、2016年に誕生したのが一般社団法人awa酒協会です。日本酒の価値向上を主目的に、酒蔵9社で立ち上げました。
awa酒協会の会員数は現在 24社で、さらに数社が検討中です。「東京オリンピック・パラリンピックまでに 30社」の実現が見えてきている段階です。
価値を高めるためには、awa酒の基準を明確に設定し、その基準を awa酒協会が守っていく必要があります。気圧や度数などシャンパンに明確な基準があるのと同じように、awa酒にも基準を設けなければならない。そして基準さえクリアできれば、どの酒蔵でも awa酒協会に入ることができる状況を創る。人間関係ではなく、明確な商品基準のもとに運営していかなければならないのです。