つまり“失言でした”という言葉は本人が本心からそう思っているのではなく、その言葉を聞いた人が“失礼極まりない言葉である”という感情を抱いたことにより“失言”というレッテルが張られるのです。
つまり失言は言葉を発している今ではなく、言葉を発した後に生まれるものだと思うのです。
よく“私はついついうっかり余計なことをいってしまう”という人がいます。
本当にそうでしょうか? 当人にとっては余計なことではなく何らかの感情を抱いての言葉であり、後から周囲に言われたり、周囲が豹変する態度を見てから“失言だった”という認識を持つのだと思います。
“私はこれから失言を宣言します”という人はおそらく誰一人いないことでしょう。言葉が発せられる直前までは失言ではないのですから。
職場においても“君は失言が多いな”という上司からの一言があったとしても、もしかしたら上司にとっては“失言”かもしれませんが、ほかの社員からは“賛同”かも知れません。
単にストレートに社長への反発や会社に対する不満などを社員を代表して表現しているに過ぎないのかもしれません。
つまり“失言だ”ということを発する前に、本当に失言なのか、見極めていかなかればならないということです。
「うっかり」という言葉も調べてみると「注意不足のために不本意にことが起こるさま」と表現されています。
「うっかり」の類義語として「ぼんやりしていて」「ぼさっとしていて」「つい」「ぼーっとしていて」「ぼんやり」など、何ともモサっとした言葉が並びます。
ここにも“注意不足のために”と“不本意”という状態が記されています。
“うっかりしてたわ~”という言葉も日常良く聞かれますが、本当に不本意だったのかは分かりません。
十分承知していたけれども期限に間に合わないことが明確になり、しばらく放っておいたというケースもあるでしょう。
もし麻生氏が「ぼーっとしていて“子どもを産まなかった方が問題”という失言をしてしまいました」と失言の取り消し会見をしたらどうでしょう。
日本との取引に見切りをつける国もあるかもしれません。
それはさておき、失言は多くの人や当事者にショックや悲しみ、怒りを与えていることはまちがいありません。
だから失言です。以前、あるホテルのGM は“ウエディングプランナーは26 歳まででいい。
どうせ、結婚するでしょ。それの方が会社としても人件費が抑えられるから”とインタビューの中で語っていました。
明らかに女性差別であり失言です。ところが今になって“退職した女性に復帰するようアプローチしている”とシャーシャーと語っていました。
あまりにも短絡的で人間味を感じない態度の豹変ぶりに愕然としたことがあります。そんなGM ですからおそらく懇願しても戻ってこなかったと推測します。
お客さまとの会話でもヨイショのつもりの“お若いですね”の一言も“一体、何歳だとおもってんの?”という反発を買うこともあります。
それだけ言葉は難しいものです。
だからこそ、何事も言葉にする前に八女茶で一服、ひと呼吸の間おいてから自分が思う主張を言うべきか否か、考えるべきなのかもしれません。
第64回
“風の人”山下裕乃の「THE SHARE」
第64回 言葉を発する直前までは失言は主張なり ~ “うっかりしてたわ~ ”って本当にうっかりですか?~
【月刊HOTERES 2019年03月号】
2019年03月01日(金)