ロブションを退職
大きな愛のビンタ
中村 いつのころから自分で独立したいという思いがありましたか?
渡辺 ロブションで19 年、20 年が過ぎたあたり、体力的な面を考え、50 を過ぎたらもう無理だろうからと、48 歳のときに退職させていただきました。
でもロブションさんにこのことを伝えるタイミングが難しかったです。当時は日曜日に来日されたので、月曜日に「シェフ、お話が…」って言ったんですよ。そしたら、「時間がないから後にしなさい」と言われ、聞いてもらえませんでした。
中村 渡辺さんの顔色を見てなにかを察知されたんだろうね(笑)。
渡辺 そうだと思います(笑)。で、木曜日まで過ぎてしまい、改めて「シェフ、明日は僕はガラディナーの準備もあるんですけど」と伝えたら、ちょっと来いって言われました。
朝一番で、ルージュバーのカウンターに二人で腰掛け、「さあ、全て伝えなさい」とお話しし始めました。自分はこういう場所で、このようなレストランをオープンさせ、独り立ちしたいと、率直に伝えました。
それに対して、ロブションさんはうんうんと聞いてくれました。全てお伝えした直後、バーンと一発ビンタをくらいました。ロブションさんはときどき猪木さんの気合ビンタみたいに、一発くれるんですよ(笑)。でも私はそれが好きでした(笑)。
来日の1 日目なんて「ボンジュール(ばちんっ!)」とやられてましたけど(笑)。
僕が最初に調理場にシェフをお迎えにいくと、その場で一発いただいていました。
中村 (笑いながら)愛情いっぱいのバーンであることには、間違いないので、もしそれがなくなると、これまた問題ですから(笑)。
渡辺 時々ロブションさんは、「気合」とか「押忍」っていう言葉も知ってるんですよ、それで「おーすっ」とか言って入ってきます(笑)。
みんなが、え? っと思い、ポカンてしていると、押忍と答えろ! と怒り出したりします(笑)。
気合のビンタも同じようなものです。
それでその自分の独立の話をしたときも、最後にまたバーンとビンタをもらい、ぐっと抱き寄せてくれ、「ブラボー!! ワタナベ!!」って言って頂きました(涙)。
「お前は今まで頑張ってくれて本当にありがとう」って言ってくれて。
ミシュランとったときもそういうふうに言ってくれたんですけど、「ホントだったら外で店やってるかもしれなかったのに、残ってくれてお前には本当に感謝している」って言ってくれて。
ロブション氏の右腕であるエリックシェフと2 人で涙しました。
で、最後に「ところでお前何人連れて行くんだ」って言われちゃって(笑)。
で、僕はもちろん一人じゃできませんので、僕を含めて4 名、ナベノイズムの旗揚げに行かせていただきます、ときっぱり申し上げたら、また一発ビンタをバーンといただきました(笑)。
中村 そのビンタ一つでスタッフの持ち出しまで認めてもらったことだから、この際、往復ビンタでも大きな愛だと思うしかありませんよ(笑)。
あなたはご存じかどうか知りませんが、フランス人のシェフが、渡辺さんが独立するのをロブションさんが許してくれたことは、大変な事件だと言っていました。
ファミール・ロブションに入ったら、そこからなかなかでられないという、暗黙の決まりみたいなものがあるそうです。
だから渡辺さんも当然ファミール・ロブションだったのに、気持ちよく辞めさせていただいたというのは、あなたの実績を認めてくれたことで、それが驚きだったみたいですね。
第8 回 Part3
中村勝宏プレゼンツ ~美味探求~
第8 回 Part3 日本ホテル株式会社 特別顧問統括名誉総料理長 中村勝宏 氏 × ナベノイズム Nabeno-Ism 渡辺 雄一郎 氏
【月刊HOTERES 2019年02月号】
2019年02月08日(金)