左から、トラヴァリーノ社5 代目のアレッサンドロ・チェッリ氏、カ・モンテベッロのアルベルト・スカラーニ氏、コンテ・ヴィスタリーノ社輸出担当のサラさん
かつてのピエモンテほか各地への
ブドウ供給地は、品質高め
ブランド化イタリア北部のオルトレポー・パヴェーゼワイン保護協会(Consorzio TutelaVini Oltrepò Pavese) が10 月初旬に来日、2 日にホテル雅叙園東京でこの地のワインの魅力を伝えるセミナーを開催した。特に近年、同協会が強調しているのがこの地域で栽培されているピノ・ネロ(ピノ・ノワール)種のブドウと、彼らが造り出すスパークリングワインをはじめとしたバリエーションだ。
イタリア第二の都市でロンバルディアの州都ミラノから30 分程度のところあるオルトレポー・パヴェーゼは、ワイン造りの歴史も深い。紀元40 年にはこの地を通った古代ローマ人の兵隊が「おいしいワインと歓迎する人びと、そしてとても大きな木樽」と記している。品種においても歴史があり、1884 年には225 におよぶ土着品種が栽培されていたという。現在は12 種類ほどに集約されており、多く栽培されているのはクロアティーナやボルナダ、リースリングやモスカートで、旗印となるのはクルアゼ(Cruase)というロゼのスパークリングワイン(オルトレポー・パヴェーゼ・メトード・クラッシコ・ロゼ)だ。最も生産量の多いワインはボルナダで年間生産量は2000 万本だが、3000ha で栽培するピノ・ネロはイタリアで最大の面積を誇る。
この地のピノ・ネロにはルーツがある。19 世紀半ばにガンチア社の創始者であるカルロ・ガンチア氏と、コンテ・ヴィスタリーノ社のカルロ・アウグスト・ジョルジ氏がフランス・シャンパーニュ地方でワイン造りを学んだ後に帰国。持ち帰ったピノ・ノワールを植えたのが始まりだ。このエリアの丘陵が栽培に合っていたと言える。
一方、この地方がワイン産地として知られてこなかったのにも理由がある。1970 ~ 80 年代は、前述のガンチアをはじめとしたピエモンテのスパークリングワインメーカーの原料供給地であり、90 年代には存在感を高めてきたフランチャコルタといった多くのワイン生産者が、ピノ・ネロをここから調達していた。さらに、オルトレポー・パヴェーゼの小高い丘がミラネーゼの別荘地であり、ワイン生産者が増えなかったという背景もあると、セミナーを主催したソロ・イタリアの林茂代表は語る。