若かりし頃
徳江 先日のコンテスト(注:BIA 主催・The Master of Bridal Coordinator コンテスト)でもお世話になりました。
野田 こちらこそ! 先生に審査員を引き受けていただき、大変感謝しております。学術的な視点もやはり重要ですからね。
徳江 毎年かかわらせていただいていると、着々とレベルが上がってきているのを感じます。BIA の存在感もますます大きくなっていきますね。今回は、そんなBIAとともに歩んでこられた野田さんの、知られざる一面に焦点を当てたいと思います(笑)。
野田 どうかお手柔らかにお願いします(笑)
徳江 野田さんは熊本のご出身なんですね。
野田 はい、実家は明治時代から味噌醤油の醸造や下駄の製造、建築、航空機の部品生産工場など多角的に経営をしていました。
徳江 そんな環境で育ちながら、東京農業大学に進学していらっしゃいますが、なぜ農大を目指したのでしょう?
野田 父の知り合いでブラジルに渡って成功し、日本人会の会長をしていた粟津金六という方がいらしたのですが、跡取りがいないというので、私の父に話が来たのです。私は三男だったこともあり、ブラジルで頑張ろう! と思い、農業とポルトガル語を学べる農大を目指した次第です。
徳江 そうだったのですね。なんとブラジルにご縁があったとは。
野田 とはいえ、農大3 年のとき米国留学の機会があると知り、それに手を挙げて渡米しました。船で渡航したのですが、大卒初任給が14,000 円くらいの時代に、渡航費が300ドル(注:1ドル360 円時代なので10 万円以上)かかりましたよ。