自分の人生は、自分が主役で、ヒーローもしくは、ヒロイン。
終身雇用が約束されていた時代では監督は上司、脚本は人事部、演出は“素の”自分というのがキャリアを進めて行く上でのお約束でしたが、これからは主演・監督・脚本・演出は全部自分で実践しましょう。
どんな物語にするのかは自分次第です。ストーリーを進めて行く(キャリアデザインを行う)上での書き直しも問題ありません。愛あり夢ありアドベンチャーありのホテリエ奮闘記になるのか、なだらかなキャリアパスを想定しての脚本にするのかもこれまた自分次第。毎日をワクワク、楽しくするのも自分だし、それに近づけるのも自分です。
「なぜ、自分がこんな苦労を?」と不遇に思うシナリオもあなたのキャリア奮闘記でみれば必然で必要な過程であり、それそのものも楽しめるようになるかもしれません。人生にもキャリアにもスパイスは必要で辛い、苦いものがあるから甘いものが一段と美味しく感じるのは言うまでもありません。
しかしながら現実は映画やドラマではないのでドラマティックに毎日は進みません。山高ければ谷深しで決して思った通りにいかない、不遇の連続に遭遇することもあるでしょう。自分を信じながら楽しく演じられるよう脚本を書き直す努力をして下さい。
脚本。言い換えればイメージです。「イメージしたことは現実化する」、という事実は多くの方々が事の大小は別として体感されていることだと思います。イメージするからアンテナが立つ。アンテナが立つから五感が研ぎ澄まされます。日常の風景、出来事、出会いがアンテナのお陰により意義のあるものに変化し、それが発見や再考、そして次の行動への引き金になります。
一番簡単なキャリアデザイン脚本の作成例としては“逆算論法”です。
例えば現在、20歳の方が40歳で総支配人になることを目指す(決意した)のであれば逆算してこれからの20年をどのように生きるかがシナリオのベースになります。最初の6年で宿泊フロント、料飲サービス、営業を一通り経験し、次の5年で海外赴任し、次の3年で自分の特性にあった部署で専門的に従事し、管理職(マネージャー等)を3年経験し、残りの3年で部門長や副総支配人として次につながる結果を出す。という感じでしょうか。
こう書くと非現実的と感じるかもしれませんが実際には想定外の要素があったりもしますので現実的にはこの位のスピード感とシナリオをもたないと計画通りにはいきません。
キャリアは会社から与えられるものでなく自身で作っていかなければなりません。そのためには自身でイメージを描く、そしてそちらに近づけるように努力をする。機会があれば手を挙げる。その道が本当に適しているかは早めに気付く方がよく、駄目なら修正をする。走りながら考える。脚本を書くということは物事の具体化と自身へのコミットメントも要求されます。
もうひとつの方法としてはベンチマークになり得る人、尊敬する人、身近で目標になる人、あるいは本などを利用し、どうしたキャリアストーリ(方向性や行動)が自分にフィットするかを参考にしつつ脚本を思い描くのもひとつかもしれません。
もちろん、あなたは他人の人生を生きる気もないでしょうし、他者のシナリオを“コピペ”する気も毛頭ないと思います。
各々が持つ性格や技量、個人的な背景や資質には当然のごとく大きな違いがあります。
真っ白なキャンバスに何事にも囚われず絵を描くのもひとつの手であることは否定しません。
しかし誤解を恐れずに書けば人生はある意味、大きなギャンブルであり、自分にとっての成功の確率を上げる、というゲームかもしれません。色々な意味で勝ち続けられ人はごく少数(あるいはいない)であり、五分五分かいいところ、勝ちがひとつ敗けを上回っているくらいが大半の方だと思慮します。
そうだとすれば、確率を上げるには歴史に学び、他者に学ぶ(他者の成功、失敗の両方に)のはあながち悪い考えではないと個人的には思っています。
話が飛躍し、人生とキャリアをやや混同している今回ですが多くの人が切っても切り離せない関係ものであるということに共感してくれると思っています。
ホテルはエンターテイメント、人生もエンターテイメント。
ゲストはホテルを非日常と考えていますし、我々が日々関わるホテルは全てが舞台です。
「私たちが今、生きている今日は、昨日死んだ人が生きたかった明日だった」
舞台に立ちたくても立てない人もいます。
その瞬間に舞台に立っていたからこその出会いや挑戦への機会が開けるのです。
アンコールの声援はないかもしれないが自分のやりたいことを自分で描いてキャリアは自身で納得のいくものだったと言い切れることを期待してカーテンコールの準備をしよう。
- 福永 健司 プロフィール