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第五回 観光革新の旗手たち  第五回  駄菓子屋、茶懐石鮨、和味餃子、 店主 西 貫 氏 × 東洋大学 国際観光学部 准教授 徳江順一郎氏

日本の食のおいしさにこだわり続け、「一人仕事」の可能性をとことんまで追求し、一人ひとりが活かされる将来を目指して

【月刊HOTERES 2017年07月号】
2017年07月07日(金)
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東洋大学 国際観光学部 准教授 徳江順一郎氏
駄菓子屋、茶懐石鮨、和味餃子、 店主 西 貫 氏

 
40 代以上の人なら、子供の頃、小学校の帰りに友人たちと駄菓子屋に寄った経験を持つ人も多いのではないだろうか。あの頃は、子供心にもわくわくするさまざまなお菓子を味わい、友人たちとの交流を深めていたものであった。大人にも「駄菓子屋」が必要ではないかとの想いから、西氏は2002 年、六本木に駄菓子屋を開業した。六本木に集う「ちょい悪」の大人たちが集まり、さまざまな交流を深める姿を目の当たりにし、美味しいものを軸として、人々が幸せになれればとの考えを新たにした。そこから、日本人にとっての美味しさを追求し続け、現在では白金に鮨店、原宿に餃子店の経営を行なっている。
 
こうした「寄り道の文化」ともいうべきものは、昨今の子供たちにはすっかり見られなくなってしまったが、日本という国の成長過程では、きわめて象徴的な「観光」であったといえるだろう。そんな「寄り道の観光」を実現する「一人仕事」というキーワードのお話をうかがった。
 
幼い頃の思い出
 
徳江 今は料理店を3 軒経営していらっしゃいますが、まずは子供の頃のお話をうかがいたいと思います。やはり「駄菓子屋」に寄り道していたお子さんだったんでしょうか?
 
西 めちゃくちゃ行ってました。ほぼ毎日ですね。あの頃、自分が住んでいた町内に5 軒くらいありましたから。
 
徳江 そんな「お子様」が、いつ頃からお店の経営を意識したんでしょう(笑)?
 
西 店を開こうと意識したのは22 ~ 3歳の頃ですかね。飲食店に勤めている際、毎日飲み歩いていて、このまま行ったら人間としてダメになると思ったので、経営者になろうと考えました(笑)
 
徳江 最初のお店である「駄菓子屋」は、小規模でありながら豊富なメニューのある興味深いお店ですね。なぜあのようなお店を?
 
西 一人仕事の店をやりたかったんです。人がコロコロ変わるのが嫌だったんですね
 

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