さまざまな料理人がいる中で、一人一人が持つ苦悩と挑戦の数々の物語がある。ホテル・レストランの総料理長が食の業界や若手の料理人に向けて伝えたいことは何か。これまでの長い経験の中で、どのようなことに悩み、どのようなことを考え、どのようにチームを創り上げてきたのか。インタビューを通じて後継者育成に向けた取り組み、マネージメント手法などを探るシリーズ「料理人の教育論」を隔週連載でお届けする。
株式会社帝国ホテル 専務執行役員 総料理長 田中 健一郎氏
早朝から深夜まで仕事の繰り返し
競争時代の料理の世界を生きてきた
——料理の世界における人材教育について、最近の状況をどのように見ていますか。
おかげさまで帝国ホテルにはやる気のある若手の料理人が集まっていて、離職率は比較的低くなっています。私が取締役総料理長に就任したのは2002 年のことですが、約7年の間は総料理長と調理部長を兼務し、マネージメントについても担当してきました。帝国ホテルの料理人は400 名近くいますので、兼務しながら組織を維持していくために本当に大変な思いをしました。
私は1950 年、団塊の世代の終わりの方の生まれです。とにかく競争競争でライバルが多い世代ですね。私は1969 年に帝国ホテルに入社したのですが、翌1970 年に本館が完成しましたので当然のことながら大量採用の年でした。料理人だけでも400 名近く採用したので、入社後も何かにつけて競争ということになります。例えば玉ねぎの皮をむくときも、誰が一番早くワンケースむき終わるかという競争に自然となるのです。人がこれだけやるのであれば、自分はそれ以上にやらなければ競争に負けてしまう。そんな環境でしたから、休日にも会社に出てきては自分のポジション以外の仕事を覚えさせてもらったり、肉屋さん、魚屋さんに頼み込んでお手伝いをさせていただいたりしました。多くのライバルがいる中で、お互いに切磋琢磨しながらやってきたのです。
当時、私は中央線の国分寺に住んでいました。日比谷の帝国ホテルに8時が定時出勤だったのですが、毎朝4時51 分の始発電車に必ず乗って6時前には職場に到着していました。そこから8時までの2時間でその日に使うものをすべてスタンバイして、先輩が出勤したらすぐに仕事に取りかかれるように整えておくのです。
朝から仕事をして、途中2、3時間中抜けしてから、引き続き夜も働くという時代でした。仕事が終わった後も、真っ直ぐ家に帰ったことなどありません。必ず先輩から「おい、行くぞ」と誘われて、終電近くまで飲む。そこで先輩から叱咤激励と熱い思いを聞かせていただくのです。早朝から夜中まで、そんな日々の繰り返しでした。