本記事は、2023年7月5日に中目黒BEEPで開催されたアイル・オブ・ラッセイ蒸溜所(Isle of Raasay Distillery)セミナーのレポートである。
アイル・オブ・ラッセイ蒸溜所は、スコットランドの北西部にあるヘブリディーズ諸島の一つであるラッセイ島で唯一正式に稼働する蒸溜所だ。
アラスデア・デイ氏
ラッセイ島はスカイ島の東に位置し、全長20kmほど、幅5kmほどで人口が200人程度の小さな島である。そんなアイル・オブ・ラッセイ蒸溜所よりウイスキーブレンダーであり植物学者でもあるアラスデア・デイ氏が来日をし、セミナーが開催された。
【アイル・オブ・ラッセイ蒸溜所】
ラッセイ島で唯一正式に稼働する蒸溜所の「正式(合法的)」という部分に違和感を持たれた読者もいるかも知れない。ウイスキーの歴史を辿るとそこには、税と脱税(違法蒸溜)のいたちごっこがある。スコットランドだけでなく、アメリカの禁酒法時代のムーンシャインや、近年バーのスタイルとして表現されるスピークイージーなどもその名残だ。ハイランドとローランドの区切りは未だに用いられており、税というものがいかにウイスキーと関わって来たかを物語っている。
そうした歴史の流れもあり、1850年までラッセイ島でも違法な蒸溜が行われていたようだ。島に伝わる話では、ラッセイ島の住人の親戚が隣のスカイ島に住んでおり、本土から役人がチェックに来ると、白い布を掲げてラッセイ島の住人に知らせていたという。かつて使用されていた蒸溜器があった痕跡も見つかっており、2017年にスコットランドの起業家ビル・ドビー氏とウイスキーブレンダー兼植物学者のアラスデア・デイ氏が共同で設立したのがラッセイ島初の合法的蒸溜所というわけである。
シングルモルトを語る時、ワインに比べて原料についてはあまり話されることがない。しかし、蒸溜所の環境については味わいに大きく影響するものとして詳しく語られる。用いられる水はもちろんのこと、気温や湿度といった熟成の環境も大きく味わいに影響を及ぼすことが知られている。こうした自然的な要素と、発酵のコントロール、蒸溜器の形やカットポイント、樽の材質や大きさ、そしてブレンドといった人による技術が合わさって、蒸溜所ごとの唯一無二の味わいが生まれるとされる。
地質学的なデザインがされている
アイル・オブ・ラッセイのラベルには島に関することと樽に関することが描かれている。特に地層については、ジュラ紀の砂岩に火山岩が特徴的で化石も多く見つかっている。ボトルにはその化石がエンボスとして形どられており、手に取ることでラッセイ島を感じられるようなデザインがなされている。
そうした古い地層に育まれた水はとてもユニークであり、島の最高峰であるドゥーン・カナに降り注いだ雨は、ジュラ紀の砂岩と火山岩とでろ過され蒸溜所の地下60mにある「Tobar na Ba Bàine(淡い色の牛の井戸)」と呼ばれる井戸に流れ込む。その水はミネラルが豊富で、マッシングから発酵、蒸溜や瓶詰など製造のあらゆる工程で用いられ、アイル・オブ・ラッセイの個性を生み出す要因になっている。
【ラッセイ島を感じる味わい】
アイル・オブ・ラッセイ蒸溜所は、2017年 9月にウイスキー蒸溜を開始した若い蒸溜所だ。近年、開設が相次ぐ蒸溜所だが、スコットランドにおいては、3年間の樽熟成を経なければならない決まりがある。その間、何かを販売してキャッシュを生み出す必要があるのだが、多くはジンなどの他のスピリッツの生産を平行して行っている。アイル・オブ・ラッセイ蒸溜所でもジンが造られているのだが、シングルモルトよりも先にそちらを説明したい。なぜなら、このジンを知ることで、蒸溜所が目指す「ラッセイ島を感じる味わい」の理解がしやすくなるからだ。
『アイル・オブ・ラッセイ ジン』は、10種類のボタニカルが用いられロンドン・ドライ・ジンのスタイルで仕上げられている(厳密には、蒸溜所で造ったモルトスピリッツを添加するため、ディスティルドジンのカテゴリーとなる)。中でも特徴的なのが、ラッセイ島で取られたジュニパーを一部用いていることだ。地元の植物学者の協力のもと、島で最良のものだけを手摘みで収穫している。ルバーブの根も興味深い。他にも、スイートオレンジのピール、レモンピールと言った柑橘に、アンジェリカの根、リコリスの根、オリスルート、コリアンダーシードといったジンによく用いられる原料も厳選されたものが使用されている。
蒸溜器の設計においても、始めからウイスキーでだけでなく、ジンも造ることを念頭にして設計が行われている。2基(ウォッシュスチルとスピリッツスチル)あり、ジンは年に1度ウイスキー生産を止め、スピリッツスチルを用いて2週間のうちに約6万本の生産が行われる。小麦原料のニュートラルスピリッツを用い、ボタニカルによって浸漬を用いたり、オレンジピールやコリアンダーのような繊細な香りのものは蒸気にて抽出を行う。蒸溜時と加水にラッセイ島の井戸から汲まれた水が使用されている。
【試飲コメント】
香りはクリーンで、オレンジ、ジュニパーの香りが立ち上り、ほんのりとローリエのようなリーフのニュアンスとドライフラワーのようなニュアンスが感じられる。そして独特のアーシネスと海苔や海っぽさを想わせるような香りを感じる。アルコール感は穏やかで丸い印象がある。口に含むと、柔らかな口当たりの後、オレンジやスパイス、ジュニパーのフレーバーがしっかりと感じられる。スピリッツが小麦由来であることによる柔らかさとほんのりと甘さを想わせる雰囲気があり、そのスピリッツの上にフレーバーが層になって載っているような印象を受ける。少し時間が経つと、日本の森林を想わせるニュアンスも感じられる。
「ラッセイ島を感じる味わい」の理解にジンが適していると言ったが、アーシネスがラッセイ島らしい味わいの一つではないかと思う。ジンの試飲中には分からなかったが、後述するシングルモルトにも同じトーンが感じられた。これは用いる水の個性が反映されているのではないかと思う。
【NA SIA】
『アイル・オブ・ラッセイ シングルモルト』は、3種類の樽に、それぞれピーテッドとノン・ピーテッドを掛け合わせた計6種類の原酒がベースになっている。1年を半分づつに分けて、ピーテッドとノン・ピーテッドの蒸溜が行われている。NA SIAはゲール語で6つを意味し、ブレンドされない計6種の原酒は、NA SIAシリーズとしてリリースがされる。
ラベルには、3種の樽とピートの有無の計6種の様子が記載されている
3種類の樽だが、アイル・オブ・ラッセイの味わいを考える際に様々な樽を試して選ばれている。Ex-ボルドー赤ワイン、Ex-ライ、そしてチンカピン・オークだ。それぞれの樽が原酒に与える影響がことなり、それをブレンドすることでアイル・オブ・ラッセイの味わいを構築しているが、そこには若い蒸溜所ならではの「熟成の早い段階」での完成度という視点がある。
この3種の中で馴染みが薄いのがチンカピン・オークだと思う。I. RusselらのWhisky and other SpiritsやG. H. MillerのWhisky Scienceといった学術書にも、Wondrich & RothbaumのThe Oxford Companion to Spirits & Cocktailsにも「Chinkapin」掲載がない。しかし、ネットで検索を行うとアメリカの大学のドメインで多くの記事が見つかる。どうも見た目はオークらしくないオークで、栗を意味する名前の通り、葉は栗に似ているようだ。そしてそのどんぐりは甘いようである。近年のクラフト蒸溜所のブームもあり、木材も様々なものが注目されるようになっている。
樽はもちろん、最終的な加工(チャーやトーストのレベル)によっても個性がことなる。アイル・オブ・ラッセイのブログには、チンカピン・オークの個性を見極めるために、様々な検証が行われたことが書かれている。また、チンカピン・オークだけでなく、従来業界で用いられるバーボン樽ではなく、ウッドフォード・リザーブで用いられていたex-ライを用いていることも個性的だ。
そうした原酒を寝かせる熟成庫は2種類あり、ダンネージ式(樽を横に寝かせて積み重ねる伝統的な方式)とパレット方式(パレットの上に樽を縦にして積み重ねる方式)を採用している。年間1,500樽蒸溜しており、現在5,000樽ほどの原酒を保有している。シングルモルトはそれぞれの原酒がブレンドされるが、メインはEx-ライのものを約60%使用し、続いてチンカピン・オーク、そしてEx-ボルドー赤ワインが用いられている。以下でそれぞれの試飲コメントと共に紹介したい。
『アイル・オブ・ラッセイ ヘブリディアン シングルモルト』
名称にヘブリディアンが入っている通り、島のウイスキーを想わせる程よく香るピートのスモーキーさが非常に心地よい。そこに、潮のニュアンス、ドライフルーツ、淡くストーンフルーツのニュアンスが香る。味わいにも穏やかさのあるスモーキーさと、木に土、石といったアーシーなニュアンスがあり、ほんのりトフィーのような甘さの奥に酸味のあるフルーツ感とスパイス感が隠れている。テクスチャーはやや柔らかめの印象だが、どことなく硬質さを感じさせる味わいだ。
右から「ヘブリディアン シングルモルト」「ライウイスキーカスク」「ボルドーレッドワインカスク」「チンカピンオークカスク」
ピートにはハイランド地方のものが用いられ、フェノール値は48~52ppmのようだ。最終的にはノンピートとのブレンドと加水を経て6~11ppmとなり、程よいバランス感がありながらも、島(ヘブリディアン)らしい雰囲気をきちんと感じることができる。ジンでも感じたようなアーシーなニュアンス、特に石のようなニュアンスは今までモルトで感じたことはなく非常に興味深いアクセントになっている。
『ナシーア シングルカスク アンピーテッド チンカピンオークカスク』
色合いは深いゴールド、香りはクリーンで、甘い香りが印象的。ハチミツやパンケーキ、メープルまではいかないけどそれに似た甘さ、木やハスの実に似た甘い香り、僅かに酸味があり、レーズンや水出しの紅茶、チョコのようなニュアンスを感じる。ほんのりと白檀やスパイスの香りもある。
味わいは辛口だが、中程度の酸味とやや豊富なタンニンを感じる。香りと同様な甘さに加えてスパイス感とドライフラワーのようなフレーバーを感じる。
シェリーとは違った甘さがあり、思いのほかタンニン量も多い印象を受けた。チャー時のニュアンスからなのか、パンケーキやメープルを想起させるような甘さが印象的だが、その奥にはレーズンや紅茶、チョコといった奥深さや濃さに寄与しそうな香りがある。
『ナシーア シングルカスク アンピーテッド ボルドーレッドワインカスク』
色合いは淡いカッパー、香りはクリーン。赤ワインらしい酸味、ドライフルーツや甘栗や金平糖に似たニュアンス、モルティネス、シナモンやクローブ、紅茶の茶葉の香りを感じる。
味わいはドライで、スパイス感とドライフルーツ感、そしてポマースのニュアンスがある。甘さと相まってなのか、あんこや羊羹を想わせる風味も感じられる。フラワリーな印象はスピリッツ由来か。
色合いも赤ワインの影響が見てとれ、香りにも赤ワインと言われれば分かるような独特の酸味、そしてポマース感がある。そのポマース感と甘いニュアンスからか、和菓子を想起させるような雰囲気がとても新鮮だ。チンカピン・オークとEx-ライがアメリカ産であるのに対し、こちらはフレンチオークらしい前面に主張しないがスパイス感が良く出ているように感じる。
ボルドー赤ワイン樽は約3年使用されたもので、カロンセギュールやパルメ、マルゴー、ローザンセグラといった名だたるシャトーのものを使用しているようだ。今回試飲分はカロンセギュールのものらしく、マルゴー産のものであればもう少しニュアンスが異なるかも知れない。
『ナシーア シングルカスク アンピーテッド ライウイスキーカスク』
色合いは淡いゴールド、香りはクリーン。バニラや生クリーム、カスタード、プリンといった甘い香り、山椒に似た独特のスパイス様の香りを感じる。
ライっぽいシリアル感があるかと思ったがそうした香りは感じられない。味わいはドライで、バーボンのような甘い香りの後、中盤以降に少しけむりっぽさを伴ったスパイス感がある。
通常のバーボン樽ではなく、ライ樽にした理由は、独特のスパイス感が欲しかったそうだ。また、今の米国のクラフト蒸溜所シーンがライ・ウイスキーというアメリカへの移民がもたらした産物の再活性化していることに刺激を受けている面もあるようだ。
【デスティネーションとコミュニティ】
アイル・オブ・ラッセイ蒸溜所は、観光地すなわちデスティネーションとしての魅力もある。蒸溜所だけでなく、ラッセイ島の美しい自然、そしてゆっくりと滞在できるホテルもある。ホテルには6つのスイートルームに、レストランとバーも併設されている。美しい自然と美味しいお酒を楽しみながらゆっくりと滞在することができる。
ラベルには島民の数161が記載されている。その下は地層を表した図が描かれている
こうして蒸溜所が出来たことは、島の活性化にも繋がっている。アイル・オブ・ラッセイのウイスキーには島民の数が記されており、その数161(現在は蒸溜所も本格稼働し200名ほどが暮らしている)がしっかりと刻まれている。自然のデザインだけでなく、蒸溜所、ウイスキー産業が生む雇用や需要によってラッセイ島が活性化していく様子が見れるようになっているのだ。
コロナ禍を経て、こうした「地元」を感じさせるものや、人、場所、歴史と繋がれるものはブランドとは異なり新しい価値訴求として注目されている。アイル・オブ・ラッセイのウイスキーには、そうした工夫や想いが多く詰まっている。「ラッセイ島を感じる味わい」というのは単に飲んで感じるものだけでなく、そこに息づく文化や産業という大きな社会を感じる機会という意味もあるのではないだろうか。
事、酒類の世界は細分化や差別化のために様々な施策が取られる。こうした競争の激化の先には、厳しい状況が横たわっており、既存の資本主義の枠組みではない考えや対応が叫ばれている。アイル・オブ・ラッセイのウイスキーはテリトーリオの産物として見ることができるように思う。今後、ラッセイ島原産の大麦を使用したり、島にある資源が複合的に価値をつくり上げていくことができる可能性を大いに秘めていると感じる。
販売する側としては、樽や希少性といった説明しやすい情報に踊らされがちだが、テリトーリオ資源としてみるアイル・オブ・ラッセイには、他とは違う販売の未来があると思う。その未来がどのようなものなのか、今後も注目して見て行きたいと感じるし、日本でも勃興すするクラフト蒸溜所やクラフト醸造所を地域がどのように活用していけば良いのかのヒントになると思う。是非、読者の方々も、一度ボトルと手にして、ラッセイ島の息吹きを感じてみて欲しい。
【参考文献】
Russell, I., Stewart, G. and Kellershohn, J. ed (2021). Whisky and Other Spirits: Technology, Production and Marketing, Academic Press
Miller, G. H. (2020). Whisky Science: A Condensed Distillation, Springer
Wondrich, D. and Rothbaum, N. ed (2021). The Oxford Companion to Spirits and Cocktails, Oxford Univ Pr
Eichinger, I., Schreier, M., & van Osselaer, S. M. J. (2022). Connecting to Place, People, and Past: How Products Make Us Feel Grounded. Journal of Marketing, 86(4), 1–16.
木村純子・陣内秀信(2022)『イタリアのテリトーリオ戦略: 甦る都市と農村の交流』白桃書房
担当:小川