(前回までのあらすじ)
東京・池袋西口にそびえる独立系ホテル「ホテルメガロポリス東京」のレストランマネージャーであった花森心平は、総支配人から命ぜられ経営企画室の室長としてホテルの存続をかけたプロジェクトを担うこととなった。花森にとって唯一の希望とも言えた立身大学の准教授、辻田健太郎をコンサルタントとして迎えることを取り付けた花森は、第一回目のミーティングのために立身大学を訪れた。
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「5月病」という病が毎年どのくらい流行しているのか知らないが、立身大学池袋キャンパス内には学生が溢れていた。学生が方向感なく歩き回るキャンパスの中心あたりに、そのコーヒーショップはあった。いわゆるシアトル系といわれる高級コーヒーチェーン店である。図書館に併設されており、本格的なエスプレッソやラテも提供されている。内装のグレードも提供価格もキャンパスの外の店舗と同じ。花森は辻田の到着を待ちながら考える。自分が大学生の頃は大学生活協同組合の運営する学生食堂でできるだけ安い定食を食べ、自動販売機で安いけど恐ろしくまずいコーヒーを買って飲んでいた。今の学生の生活水準は高いんだな、と思う。そういえば、今回辻田との縁を結ぶまでは、卒業以来キャンパスと言われるところに足を踏み入れることはなかった。最近は社会人向けの講座も充実しているらしい。職場から歩いてすぐのところにこんな大学があるのは恵まれている。今度、どんな講座があるのか、調べてみよう。
4月の初回ミーティングのあと、花森はホテルに戻っていくつかの宿題を片付けた。プロジェクト管理表はまだスカスカで、何をどうしていいかわからない状態だが、とにかくこのプロジェクトに誰が主体的に参加するのかを書き出した。法務に関してはホテルの顧問弁護士である大手弁護士事務所・中島小野常石法律事務所の中田先生が相談に乗ってくれることになった。何やら、ホテルや不動産の契約の大家らしい。そして、その費用はホテルの運営予算でカバーしてくれる、というのが財津の説明だった。これで少なくとも弁護士費用の心配はない。花森は少し安心した。
「待たせたね。ウェブ会議は途中で抜けるタイミングが難しくて・・・。」
経営学部特任准教授の辻田が、遅刻にしては悠々と歩きながら花森に近づいて来た。左手にはノートパソコン用のソフトケースを持っている。今日はPCを使った、少し込み入った話をするのだろうか。キャンパスで大学教授とPCを挟んでホテル経営改善策の談義 – 花森はそのシチュエーションにちょっとうれしくなった。
「いえ、先生、ほんの5分の遅刻です。でも、今日は1時間くださることになってますから、このミーティングの終了時間は午後5時5分、ってことで良いですよね?」
「了解。なんだ、君、結構交渉上手じゃないか。」
辻田は少し嬉しそうに言う。
「そんなことないです。ただ、先生のお力を借りないとうまく前に進めないので、時間を無駄にしたくないんですよ。」
「そうか。では、コーヒーを買う時間をその中に含めてしまって申し訳ない。でも、前回の君の質問、稼働率が高いのに何故儲からないか、については、コーヒーショップのビジネスモデルとの比較で説明できる。コーヒーを買いながら話そう。」
店員に向かい、「あ、僕はキャラメルラテをトールサイズで。」と言いながら、辻田はズボンのポケットの財布を探っている。
「普段は甘いコーヒーは買わないんだが、今日は何だか脳に糖分の補給が必要だ。花森君はどうする?今日は僕が奢ろう。」
「ありがとうございます。では、私はカフェアメリカーノをトールで」
と花森は自分のドリングオーダーをした。本当は自分もラテを注文したかったのだが、格安で相談に乗ってもらっている辻田の奢りで高いコーヒーをオーダーするのは何だか気が引けた。
「さて、ホテル客室部門のビジネスと、このコーヒーショップのビジネスでは、類似点がたくさんある。だけど、決定的に異なることもある。なんだと思う?」
「ここはフランチャイズだけど、うちのホテルは直営です。」
「それもそうかもしれない。でも、僕が訊いているのは、「稼働率」に関係することだ。」
「えっ、何だろう。コーヒーは一日2回でも3回でも買うことができるけど、ホテルの宿泊は1日1回、ってことですか?」
「うん、いい視点だ。半分正解、ってところかな。さて、今日は天気もいいし、話の続きは店内じゃなくて、キャンパスのベンチでもいいかい?」
「もちろんです。」
あれ、ノートパソコンを広げるなら店内のデスクがあった方が都合がよさそうなのに。まあ、いいや。二人はコーヒーを受け取り、キャンパス内を歩き出した。図書館から歩いて数分のところに大きな中庭があり、その一角にある藤棚がちょうど満開を迎えていた。その藤棚をくぐった先には創学の頃から建っていそうな古風な建物があり、それが学生食堂棟とのことだった。学食前のオープンエアエリアにはテーブルとチェアのセットがいくつも置いてあり、天気の良い日はそこでランチを食べることもできるようになっているようだ。辻田はそのひとつに陣取った。初夏の爽やかな風が吹いており、気持ちのよい午後である。
「さて、ホテル客室部門とコーヒーショップの違いだが、ホテルの稼働率はどうがんばっても100%にしかならない。もちろん、客室を昼間だけ貸す「ディユース」という方法もあるが、ホテルメガロポリスではディユースをやっていないよね?」
「はい。場所柄ラブホテルに使う人がいるかもしれないということで、GMの方針でディユースはやってません。」
「うん。一方、コーヒーショップは店内の座席は一日何回転するだろう?」
「そうですね。朝昼晩で3-4回転はしてるんじゃないでしょうか?」
「そう。コーヒーショップの座席稼働率は300%にも400%にもなる可能性がある。更に、店内がいっぱいでもテイクアウトで売ることもできる。テイクアウトを行なうコーヒーショップにとって、店内座席数というリソース(資源)の制限は売上極大化の制約としてはそれほど強いものではない、ということになる。でも、ホテル客室は違う。残念ながら、稼働率100%以上で売ることは難しい。だから、一部屋、一部屋をできるだけ高く販売しなければならない。」
「それはわかります。でも、今夜チェックインしてもらえなかった部屋は今日の売上になりません。空にしておくくらいだったらディスカウントして売ってしまった方がよくないですか?実際、うちのホテルでは午後6時を過ぎたらシングルルームのインターネット販売価格を下げ、当日予約を取り込む努力をしています。それで稼働率を稼いでいる、というのが、うちの客室支配人の説明でした。」
「なるほど。今の説明はホテル客室ビジネスの本質をついているね。すなわち、空き部屋で深夜を過ぎるとその部屋は売り損ねたことになる。言ってみれば、一日で腐ってしまう魚を毎日仕入れて販売している魚屋のようなものだ。しかもその魚を保存しておく冷蔵ケースの容量は決まっていて、仕入れを容易に増やすことができない。客室数もそうだね?だから売れ残るくらいなら、タイムサービスで安く売ると。そう、ホテル客室ビジネスは「腐りやすい在庫」を抱えた商売なんだ。これは、今日売れなかったものは在庫として抱えておき明日売ればいいという、メーカーモデル、例えばユニクロやパナソニックのようなビジネスモデルとは決定的に異なる。」
ここで辻田はキャラメルラテを飲み干し、紙のカップを捨てるゴミ箱を探したが、近くには見つからなかった。花森が捨ててきましょうか?と申し出たが、辻田は首を横に振り、時折吹く風で飛ばされないようにカップを持ちながら話を続けた。
「そもそもホテル客室部門の売上は、客室単価×稼働率×客室数、だ。このうち、客室数は固定されている。客室単価を安くして稼働率を上げるのは簡単だし、客室単価を相場より高く設定すれば、稼働率が落ち込む。その掛算の結果を最大化する、客室単価と稼働率の組み合わせを見つけなければならない。稼働率だけを議論しても意味がないことはわかるね?」
「はあ。でも、当日余っている部屋を売らなければその部屋の売上はゼロです。ディスカウントは正しい選択じゃないでしょうか?」
「うん。当日までに適性価格で売ることができなかった結果としては致し方ない。でも、もっと前にいい価格で販売できたかもしれないのに、その努力を怠ったツケを当日払わせられているともいえる。例えば、一日で腐るイワシを仕入れる魚屋が当日イワシを仕入れたいレストランや個人の家を予め特定して販売しておくことができれば、閉店直前にたたき売りをしなくて済む。いずれにせよ、ホテル客室部門の経営指標には、客室単価×稼働率、RevPAR(レブパー、Revenue Per Available Room)を使う、ということをまず頭に入れておいてくれ。稼働率じゃない。」
「はい。確か、レベニューマネジメントというホテル客室売上を極大化するマネジメント手法でもレブパーの極大化を目指す、と何かの記事に書いてあった気がします。」
「ああ、レベニューマネジメントの記事を読んだことがあるなら話は早い。適切なレベニューマネジメントを行なうことで売上が数%あがる、という報告もある。たかが数%と言うなかれ。コストの上昇を伴わない売上の上昇はそのまま利益の増加につながる。増益効果は絶大だ。ということで、適切なレベニューマネジメントとは・・・。」
「ちょっと待ってください。記事は読むには読みましたが、きちんと理解したかは別の話です。正直、自信がないです。」
「なるほど、正直でよろしい・・・。勘違いをしている人も少なくないが、レベニューマネジメントの本質は、『客室をできるだけ高い価格で買ってもらう。』ことだ。『空いている部屋をディスカウントで売って埋める』ことではない。このレベニューマネジメントの概念は元々エアライン業界で発達し、やがてホテル業界に入ってきた。同じ便・同じ座席でもエアライン業界では予約するタイミングで3倍くらいの価格差があるよね?レベニューマネジメント反対論者は『同じ部屋・同じサービスなのに価格変動をさせるのは客にとって失礼だ』というが、エアラインの価格変動は容認している。需要量と供給量のバランスで価格が決まることは、おかしなことではないんだ。」
花森はうなずく。実家は兵庫県北部にあり、東京からは新幹線で帰るよりも羽田空港から伊丹空港まで飛行機で飛び、そこからバスで帰った方が早い。帰省のときは如何に安い航空券をゲットするかに執念を燃やす。
「さて、花森君のホテルは稼働率を重視し過ぎて『できるだけ高い価格で買ってもらう』ことに失敗していないだろうか?」
「すみません、訊かれている意味がよくわかりません。」
「OK、では質問を変えよう。ホテルメガ・・・、いや、君のホテルは年に何日稼働率が100%もしくはそれに近い稼働率になっているだろうか?年間稼働率が85%ということは、年に数十日が『ほぼ満室』でもおかしくない。」
辻田はまわりに学生が座っていることを気にして、具体的なホテル名をあげることを避けながら会話を続けた。花森は辻田から予めいくつかの経営資料を持参するように言われていた。本当は自前のiPadにpdfファイルを保存してきたかったのだが、ホテルの日々の売上を示す日計表は不整形で枚数が膨大なためpdf化をあきらめ、財務部に保管されているハードコピーのドッジファイルをそのままもってきていた。財津GMが日ごろから主張している、「すべての情報を電子化し管理・活用する」という理想からはまだだいぶ遠い。財務部に帰属するコピー機4台のうち2台はpdfファイルを作る機能を有してはいるが、800室の巨艦ホテル経営によって日々生み出される書類をすべてpdf化するにはとても追いつく能力ではない。社外秘の資料をキャンパスの中庭で広げるというのは如何なものかという気もするが、利益そのものに関する情報ではないし、覗き込む人もいない。ホテル名を挙げて会話するのでなければ、まあ、いいか。
「うちのホテルは客室数以上の予約をとる、いわゆるオーバーブッキングポリシーを採用していません。そして、当日キャンセルや、予約してもチェックインしない、いわゆるノーショウもけっこうありますので、稼働率が100%になることはめったにありません。全816室中800室以上埋まっている状態、即ち稼働率が98%以上を超えた日のことをうちでは『実質満室日』と呼んでいますが、この日が、えっと、昨年度は27日もあります。凄いですね。」
「それが、ちっとも凄くないんだ。満室、ということは、本当はもっと高い価格で客室を販売できたかもしれないのに、低い価格で売ってしまった結果、と見ることができる。もちろん、日によっては本当に需要が多くて満室になる日もあるだろう。でも、多くの場合、安売りをし過ぎて稼働率が高くなっている。だから、実質満室日の販売価格はもう一度見直す必要がある。魚屋なら需要量を見据えてイワシの仕入れを調整しておくことができるが、ホテルはそうはいかない。一定量の在庫の単価を高く売る意識が必要なんだ。例えば、インターネットでの当日予約販売価格は本来もう少し高くすべきだったはずだし、そもそもその日の宿泊需要予測が間違っていたから直前まで売れ残っている部屋が多かったのかもしれない。宿泊需要、と一言でいうと簡単だが、その日の宿泊需要は、例えば15,000円で宿泊する需要は100部屋で、12,000円で宿泊する需要は300部屋、というように予算別に把握していなければならない。実際には顧客の宿泊予算別に需要数を把握するのは難しいから、販売チャンネル別、販売商品別、といった別のラベルで管理するのも一考だ。」
「問題が少しだけ、わかってきました。その日の15,000円での宿泊需要が100室分あるとわかっているのに、その在庫を12,000円で売ってはいけない、と。」
「その通り。高単価の宿泊需要が少ないとわかっている日は、君のホテルが得意としているインターネットによる当日ディスカウント販売をしても構わない。但し、そのようなディスカウント販売はOTA(じゃらんや楽天トラベル、Booking.comなどのオンライン旅行代理店、Online Travel Agentのことを指す)ではなく、できるだけ自社サイトに誘導すべきだ。」
「なぜ自社サイトなんですか?客からするといちいちホテル直営サイトに飛んでから予約するより、OTAのサイトで比較しながらその場で予約できた方が便利ですよね。」
辻田は少し驚き、空の紙コップをテーブル上でくるくる回す手を止めて、花森を見た。
「えっ、そこ重要な点なんだけど、君のホテルは自社サイト誘導を社員に徹底していないのか?」
「えっ、そこ重要な点なんですか?」
しばしの沈黙の後、辻田は苦笑しながら解説を始めた。
「そうだよ。そこも君のホテルで至急改善すべき点だね。OTAは手数料を10%くらいとる。それが彼らの仕事だ。でも、客にとってお得な『宿泊日当日限定予約プラン』はできれば自社サイト限定で販売したい。OTAで11,000円の部屋を売ることと、自社サイトで9,900円で売ることは、ホテルの収益にとっては同じことだ。わかるよね?11,000円×10% = 1,100円がOTA手数料だ。」
「なるほど。旅行代理店手数料を加味した純売上高が肝心、ということですね。」
「その通り。もちろん、OTA上で競合ホテルが10,000円で販売しているのに自社だけ11,000円では集客しにくい。その場合はOTAで10,000円で販売し、そこで予約をしていただいて結構。ただ、その客がリピート客になるのであれば、次回からは自社サイトで予約をするように誘導するのが肝心だ。例えば、自社サイト予約者には缶ビールのひとつでもサービスでつけてあげるといい。」
「それは出張客にとってはうれしいサービスですね。だけど、うちのホテルでは経費削減が叫ばれており、缶ビール1本とはいえ、運営経費が嵩むアイデアは提案しにくいです。」
辻田は空の紙コップをみつめながらため息をつき、花森の残念な反応に反論する。
「それは違うよ。2回目もOTA経由で10,000円で予約されるとホテルの純売上は9,000円だ。だけど、自社サイトでの予約なら手数料がかからないから10,000円。そこから缶ビール代、150円を差し引いても9,850円が純売上になる。」
「そうか、そういうことですね。ということは、代理店経由の予約を直予約に切り替える度に手数料分が儲かる、ってことですか!なんだか、急に希望の光が見えてきました。」
「その通り。但し、すべての部屋を直予約で売り切ることなどできないし、800室の大箱を抱える君のホテルは代理店との関係も良好に保つ必要がある。特に団体を送客してくれるリアルエージェント(OTAではなく、JTBや近畿日本ツーリストのような店舗を構える従来型の旅行代理店のころ)との関係は重要なはずだ。彼らとの共存も考えないと彼らが団体を送客してくれなくなるかもしれない。何事もバランスが大切だ。」
「ああ、うちが顧客を露骨に直営に誘導すると代理店が怒っちゃう、ってことですね。さもありなんです。」
「この『純売上高』という概念は他にも応用できる。例えば、1泊しかしない客と連泊する客では、連泊する客の方が利益率が高いとされる。何故だかわかるかい?」
「えっと、二人の客を探すより、一人の客を探すほうがコストが安いから、ですか?」
「それもあるかもしれない。だけど、大きな理由はチェックイン・チェックアウトにかかる人件費の違いだ。最近は連泊客に対して洗剤利用量削減による環境保護推進を支援してもらうためにシーツ交換辞退をお願いすることがあるが、それも結果的には運営費削減につながる。そういった削減コストの一部を顧客に還元する形で連泊プランを少し安く設定することも可能だ。」
「なるほど、なるほど。すみません。重要な点が多くて、ノートが取り切れません。ちょっと待ってください。」
花森は、ノートを見ながら必死に論点を書き留めている。辻田は一呼吸おき、花森の手が止まったことを確認してから、話を続ける。
「話が代理店手数料や連泊プランに飛んでしまったが、レベニューマネジメントに話を戻そう。」
第三回
連載 もてなしだけではもう食えない 立教大学 ビジネスデザイン研究科 特任教授 沢柳 知彦
連載 もてなしだけではもう食えない 第3回 腐りやすい在庫(1)
【月刊HOTERES 2020年11月号】
2020年11月21日(土)
(次号につづく)