日本酒の常識「酸味は NG」に対する恐怖心はまったく持っていなかった
島田 薄井さんは酒蔵に戻る前、日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会(SSI)の専任講師として、ソムリエスクールで講義をしていた経験をお持ちです。
私も 2020年4月から SSIの理事として、広報の役割を務めさせていただくことになりました。これからもご協力よろしくお願いします。
薄井 こちらこそ、よろしくお願いします。
島田 仙禽の蔵の紹介をお願いします。
薄井 創業は1806年で、私が蔵に戻ったのは 2004年です。私はもともとワインが好きだったこともあり、地元の大学を中退して東京にあるワインの学校に入学しました。その後、24歳で実家に戻りましたが、90%が普通酒でしたから、売っても売ってもお金にならないという悪循環でした。
そこから現在の仙禽の姿に切り替えたのが 2007年のことです。蔵に戻って3年間準備をして、今の仙禽を立ち上げたのです。キーワードは「原点回帰」。日本酒は伝統工芸品であるという原点に立ち返り、付加価値の高い手造りの酒に力を入れる方向性を追求することになりました。
まずは仙禽としての強い個性が必要ということで、現在のような酸味の強い酒質のスタイルに切り替えました。正確に言うと甘みも必要だったので、甘酸っぱい酒になっています。原点回帰のコンセプトの中で、酒造りに使うツールについても木桶仕込みなど古典的なものにすべて切り替えて、少量生産で仙禽の個性をしっかりと出していきました。
島田 規模も縮小したのでしょうか。
薄井 以前は 5000石ほど造っていましたが、その 90%が普通酒でした。今は2000石を少し切る規模ですが、売り上げは当時の2倍以上あります。
酒造りの方向性を変えるにあたってとにかく振り向いてもらわなければなりませんでしたから、良くも悪くも「なんだ、この酒は?」と感じてもらえるものをねらっていたのだと思います。そこで酸味のある酒で個性を出そうと考えたのですが、酸味を出すというのは「日本酒造りが下手」と同義でした。
だけどワインにおいて酸味は当たり前の要素で、ペアリングを考えても飲料に酸味がなければ料理を引き立てることができません。そう信じていた私には、「酸味は NG」という常識に対する恐怖心はありませんでした。タンク3本、20石からスタートして、今では 100倍の 2000石まで拡大することができました。