妥協を許さない一徹のグランシェフに
徹底して鍛えてもらう
中村 シャビシューに行ったの! そこで今のステファンシェフとの絆を築いたわけだ、やっとわかりました。
渡辺 そうです、ステファン・ブロン シェフです。当時彼が24 歳、僕が20 歳でしたけど。私がクシュベルに行った時に、彼はすでにシェフ・ド・キュイジーヌになっていました。
中村 すごく若くしてシェフに抜擢され、たいしたものだ。それとあそこには有名なオーナーシェフがおられましたね。まだ当時は現役で働かれていたころではないですか?
渡辺 はい、ミシェル・ロシュディさんですね、バリバリで、毎日怒られていました(笑)。包丁かざして「触るんじゃない」と怒られたこともありました。
中村 うんうん、わかるなぁ。あの時代の年季のいったグランシェフは本当の職人ですからね。良い意味で一徹なんですよ、決して妥協を許さない。あの方々の修行時代は今と違い本当に徹底して鍛えられましたから、その分、自分自身にも、そしてスタッフにも厳しかったはずです。
渡辺 すごかったですね。本当に怖くて。
中村 いきなりそういう貴重な職場で研修でき、本人は大変だったろうけれど、今にして、実に得難い経験となりましたね。
渡辺 そうですね。そのとおりですね。ステファンが僕のことをプルミエ・スタジエール・ジャポネと言うんですよ。そして気楽にモンフレール(我が兄弟)とも言うんです。様々な思い出いっぱいの研修先でした。
中村 そうだったんですか、ステファンさんは私も大好きなシェフですが、彼は日本人に対してとても愛情深くやってくれますけど、それは渡辺さんが日本人に対してとても良い印象をもたらしてくれたわけだ。
渡辺 いえいえ。彼は律儀と言うか、ずっと友情関係が続いていて、テタンジェで彼が優勝したときや、MOF を取ったときもすぐ祝福の電話をしています。そして彼が日本にくるときも、必ず会っています。
中村 最近はあまり来ていないですけど、彼は日本が大好きで以前はよく来られていました。
渡辺 そうなんです。最近はタイばかり行っています。
中村 タイなんだ。なんとなくわかります。日本をある程度理解した上で、もう一段、深い、エキゾチックなもの、おそらく豊富なハーブなどの風土を求めて行っているのだろうね。
渡辺 はい、そうみたいです。
中村 ステファンさんがMOF をとってホテルに帰ってきたとき、ホテルの入り口に、MOFおめでとうの横断幕を張り、オーナーのロシュディさん以下、従業員全員が熱烈に迎えてくれたということが一生の思い出だと本人から聞いたことがあります。
渡辺 若い時から、アプランティのコンクールとか全部アタックしていましたね。「俺は有名になる」と言い切っていました。中村 そこがすでに違うんだよね。人一倍の意志と情熱を持っていることが。季節的にはいつのころ?
渡辺 冬です。すごく寒い時で。
中村 ああ、そう。あそこは夏のトレッキングも良いけど、もともと冬の世界的なスキーリゾートですからね。
渡辺 そう、アルベールビルオリンピックをしたところですからね。
中村 あそこからすぐ近くにパークバノワーズという国立公園があります。そこのボナバル・シュール・ラックという村に僕のミッシェルという友達が別荘を持っていて8 月に雪山を家内とよくトレッキングしたものです。当時、遠くからクシュベルを眺めてはいましたが、いったことはなかったです。それで、日本に帰ってきてからどうされたの?
渡辺 最初の職場が、ル・マエストロ ポール・ボキューズ トーキョーでした。当時はジャン・フルーリーさんが料理顧問で来られ、シェフはパトリック・ムユーさんで、メートルがジャン・イブ・カルパンティエさんでした。
中村 MOF のフルーリーさんなど、そうそうたるメンバーで、東京だけどやっていることは完全なるフランスの続きですね。