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第140 回 ㈱フェイス 福永 有利子 氏 × ホザナ幼稚園 理事長 小西 忠禮 氏 Wプロフェッショナルズ 

第140 回  あきらめずに熱意を持ってトコトン取り組めば必ず 開かないはずの扉も開けられる

【月刊HOTERES 2018年10月号】
2018年10月23日(火)
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㈱フェイス 代表取締役 福永 有利子 氏
㈱フェイス 代表取締役 福永 有利子 氏
ホザナ幼稚園 理事長 小西 忠禮 氏
ホザナ幼稚園 理事長 小西 忠禮 氏

思い込んだらトコトン諦めない、何度も足を運び目の前に立ちはだかる重い扉を開けてきたのが、ホザナ幼稚園の理事長を務める小西忠禮氏だ。1969 年、世界最高峰のフランス・パリ1区に建つ「オテル・リッツ・パリ」の厨房に、前代未聞、日本人初の従業員として立っほしいた。誠心誠意、コツコツと取り組む姿と内に秘めたる思い、エネルギーが人を引き寄せ自らの道を切り開いてきたのだ。

福永 1969 年にパリ最高級のホテル「オテル・リッツ・パリ(以下、リッツ)」の厨房に立たれ、以後、ヨーロッパ一流のレストランやホテルでご経験を積まれ、帰国後は現在のリーガロイヤルホテル、神戸ポートピアホテル、ホテルオークラ神戸などで勤めていらっしゃいました。なぜ、料理の道を選ばれ、パリに行こうと思われたのですか。
 
小西 戦後の動乱の中、幼年からこの世に生き、食べ物も乏しく厳しい生活をしてきました。料理の世界であれば食に困ることがないことと、高校生のとき“これからはグローバルな世界になる。ホテルはパリのリッツが世界一”と校長先生が言われ、“よし、パリのリッツへ行こう!”と思いを固めたのです。当時、最高級なホテルで紳士録に名前が掲載されていない人は宿泊することが出来ないというほど、一流の人しか集えないホテルでした。といっても、つてがあるわけでもなく、肝心な渡航費もありません。まずは大半を貯蓄にまわし、何とか片道分のチケットを購入することができたのですが、パスポートを取得するために必要な帰路分の預金残高が不足しているという壁に当たりました。神戸オリエンタルホテルに勤めて4 年半が経過し、総料理長から“そろそろ行っていい”とフランス行きを許可されたのが26 歳のとき。年齢的にもこのチャンスを逃したくないと思い、領事館に3カ月間、何度も何度も足しげく通ったのです。その執念が結果として例外を認めてくれビザが発給された。

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