たくさんの除去食品と母の支え
食物アレルギーを取り巻く社会状況について、今はまさに「端境期」にあると感じます。現在子育て中である私より少し上の世代の方と話していると「炊飯器を持って旅行していた」など、今との大きな違いを実感します。そして、食物アレルギーの診断や治療も変化しています。少し前まで正しいとされていたことも、今となっては間違っていたということが多く、医療の進化に食物アレルギー患者家族は翻ほんろう弄されてきました。今から33 年前に生まれた細川さんもその1 人。離乳食でアナフィラキシーを発症し、それ以降、食物アレルギーと生き、社会の変化を感じてきた細川さんに、これまでの生活をお聞きしました。
「離乳食の時期に食物アレルギーが分かり、最初に除去が必要と言われた食品は白米、小麦、卵、乳製品、ナッツ類、やまいも、牛肉、豚肉、鶏肉、青魚、南国系のフルーツ、甲殻類、そばでした。当時の医療は『アレルゲンを完全に除去すること』が治療方法の一つでしたので、定期的に血液検査をし、数値がゼロになった食品を病院で食べ、それが食べられると確認できたら除去品目を少しずつ減らすということを繰り返してきました。今でも卵、乳製品、ナッツ類、やまいもがアレルゲンのため、これらについては除去をして日々生活しています。
私の食物アレルギーが分かった当時は、アレルギー表示がない時代でした。今のようにインターネットも普及していないので、母は苦労をしたと思います。家族で旅行をしたことはあまりありませんが、学校行事の旅行と部活の合宿、小学校から高校まで入っていた地元の合唱団の合宿には行っていました。しかし、当時は宿泊先がアレルギー対応をしてくれないので、両親が私の宿泊先の近くのキッチン付きの宿に泊まり、毎食届けてくれていました。なお、これらの宿泊行事に関して両親は、子どもだけで楽しむ場だからと、私に会わないような時間やタイミングを確認し、食器だけ借りて配膳して帰るといった工夫もしてくれていました。高校の修学旅行は海外だと付き添いは難しいからということで、行先が国内の高校を選んで入学し、母も付き添いで来られるようになり、修学旅行に行くことができました」