1971(昭和46)年、地上170m、日本初の超高層ホテルとして開業したのが、東京・西新宿に建つ「京王プラザホテル」だ。展望台やバリアフリー対応、日本酒バーの設置など、時代をとらえつつ、顧客目線に立った企画やサービスを取り入れ、ホテルはもちろんのこと西新宿エリアの活性化に努めている。そこで今回は1990(平成2)年入社以来ひと筋に部門間の壁を乗り越え 挑戦し続けている斎藤潤子氏にお話を伺った。
㈱京王プラザホテル
営業戦略室 副部長(兼)
企画広報支配人
斎藤 潤子氏
〈プロフィール〉東京都出身。国際基督教大学卒業。在学中にカリフォルニア大学サンディエゴ校に1年間交換留学。1990年京王プラザホテル入社。ウェイトレスとしての研修後、マーケティング部広報、宿泊部フロントレセプション、宿泊セールス(法人営業担当)、宴会料飲オフィス(ウエディング・レストランなどの商品企画)を経て、2005年料飲オフィス副支配人。新しいレストラン・バーラウンジの開業にも携わる。2006年広報支配人に就任、2013年より現職。コーネル大学ホテルスクールPDPプログラム参加、レジャー産業研究会企画委員、マーケティング研究組織MCEI広報委員など社外での活動にも取り組んでいる。
▶新宿エリアは東京のホテルとして当初は海外からなかなか認知されなかったと聞きます。そんななか外国人観光客に対して開業時から地道にセールス展開し、いち早くMICE にも着手するほか、多くのお客さまに来館いただけるよう積極的なイベント展開をするなど、多くの人が集まるホテル作りをされてきました。今日においてもホテルライフを楽しんでいただけることを第一に常に挑戦し続けていらっしゃいます。その中でホテルの顔として、またホテルの営業戦略の中枢として取り組まれ、まさに日本のホテルを代表するホテル広報の顔として活躍されていらっしゃいます。始めに、今から28 年前、男性社会の色が濃かったホテル業界に就職されようと思われた経緯をお聞かせいただけますか。
モノより人に接する仕事、そして国際的な仕事、さらに年を重ねても女性の感性を生かせる仕事を考えた結果、ホテル業界を選択しました。交換留学でアメリカの大学に留学していたため就職活動に取り組んだのが7 月ごろでした。準備期間はわずか2週間しかなかったのですが、広告業界やデパート、サービス業界、メーカーなど、さまざまな業界に勤めている先輩を訪ねて業界の情報を収集し、最終的にホテル業界に的が絞られました。当時は今と比べるとまだまだ男性社会でしたが開かれたイメージのある京王プラザホテルに就職しました。