インターネット予約時代の夜明け
今日、人々の生活で不可欠のものと言えば、空気と水と食料、そして、電気とコンピューターである。
いまから20年ほど前の1999年7月。コーネル大学ホテル経営学部のリチャード・ムーア教授が来日し、早稲田大学主催の講演会でこう語った。
「GDS(グローバル・ディストリビューション・システム)におけるインターネット予約の割合は、まだ全体の1%にしか過ぎないが、その潜在需要は計り知れないものがある」
当時、旅行者は旅行代理店やホテルの予約事務所を通じて、あるいはホテルへの直接予約で宿泊場所を確保していたが、パソコンの普及とインターネットの発展によって、情勢が一変する時代にあった。ムーア教授は、こう予測するのだった。 「インターネット上で送られる情報量は100日ごとに2倍ずつ膨れ上がってきており、インターネット予約もやがて巨大な流れになるだろう」(週刊ホテルレストラン99年9月17日号、執筆は富田昭次氏)
日本でこ種の話題に関心が集まり始めたのは、90年代半ばであった。インターネット予約の先駆的存在「ホテルの窓口」(「旅の窓口」の前身)を開発した日立造船情報システムの藤村寿之が本誌・同号でこう回想している。 「パソコンやLANという環境に密接に関わった業務を実施していたこともあり、当時業界で話題が上り始めていたインターネットというキーワードに注目、『この市場は必ず大きくなる』と思い、『インターネットで何か事業をしたい』というところから始まったわけです。(中略)しかし、94年当時、インターネットに対する理解はなかなか得ることができず、システムの開発にはすぐに着手できない状況でした」 そこで、自らサービスを始めようとして誕生させたのが「ホテルの窓口」だった。96年1月17日のことである。当初は86軒の対象ホテルから始まり、その1月の予約件数は13泊だった。つまり1日につき、わずか1泊だった。
その後、「旅の窓口」と改称されたシステムは急速に普及、98年から急成長し、ムーア教授が講演を行なった99年7月の時点で月間約5万泊の予約件数を数えるに至った。
インターネットへの反発に遭遇して
「ふぅ~ん、『旅の窓口』って、うちのGDSのようなものなのかな」
コンピューターの画面を見ながら、片野は、一人つぶやいた。
片野は、アメリカに本社を置くチェーン・ホテルのフロントにいた。ホテル業界に身を投じてから6~7年が過ぎようとしていた。 当時、片野が在籍するホテルでは、ファクスで予約が入ることもあったが、海外からのお客さまはGDS経由が多くなっていた。期せずして、世界の最先端の動向に触れていたのだ。だから、インターネットに対する抵抗感は最初からなかった。そのシステムが使用する独特の言語を理解するのは大変だったが、それもいい勉強だった。
GDSは、航空会社の販売戦略から発展したと言われている。一座席でも多く効率良く販売するというイールド・マネジメントの考え方から生まれ、航空券の発券から始まって、ホテル客室やレンタカーの予約などへと広がった。
片野は、このシステムを扱い、習熟するうちに、スーパーバイザーという立場を利用して独自に変更を加えることもした。そうして、イールド・マネジメントの初歩を理解するようになっていった。
当時、日本のホテル業界では、イールド・マネジメントに対する認識はまだ高くなかった。「積極的に取り組んでいる」ホテルは28%で、「研究中」が18%、残りの54%が「初めて聞く言葉である」、「聞いたことはあるが、よく知らない」だった(週刊ホテルレストラン99年5月7日号、回答は147軒、調査は富田昭次氏)。 後に、こうした最新システムへの関心が片野の強みになった。だが、前述したように、日本のホテル業界は、イールドに対する認識は低く、まだ旅行会社に重きを置いていた。
「片野、お前、システムばかりに夢中になって、旅行会社に嫌われたらどうするんだ。責任をとれるのか!」
システムの利点を理解できない上司のセールス・ディレクターからこんな叱責を受けた。 次に勤める伊勢志摩のリゾートホテルでも、宿泊予約部長から同じことを言われた。 「お前の考えのようにインターネットに頼ってばかりいたら、客室は売れないよ。そんなことをして、それまでの旅行会社との付き合いはどうするんだ」
しかし、売れ行きは片野の思惑通りになり、部長も納得せざるを得なかった。
その後、片野の強みは、SEO(検索エンジン最適化)やSEM(検索エンジン・マーケティング)といった手法を知ることで、ますます磨きがかかった。前者は外部に向けて検索順位を上げる手法で、後者は内部施策により自社ホームページ上で順位を上げる手法だ。 進歩の速いこの世界では、これらの手法はすでに過去のものになってしまったが、ネット業者との定期的な商談で最新技法を自分のものにしていった。
費用対効果を弾き出して勘を育てた
そして――片野が自らホテルを経営するようになってからのこと。ウェブサイトから集客する効果を、以前よりも増して重視するようになった。
ある日、旅行サイトから、こんな営業の電話があった。
「片野さん、今度、北九州地区でこういう特集をやるんですが、御社でも参加しませんか」
「そうですね……、少し検討してみましょう」
それまで、片野は出稿したバナー広告などについては逐一、費用対効果を弾き出していた。
なぜ、このような細かい作業に及んだのか。 自社のホテルを持つようになった当初、どのようにしたら客室が売れるだろうと熟慮した。その結果、改めて旅行サイトが浮上してきた。 当初は、意識的に複数の旅行サイトからの誘いを受け、出稿費用、実売の客室と売り上げ、 仲介手数料を計算した。これを繰り返すと、どのサイトのどのような形の広告がより高い効果を望めるかが判断できるようになった。
「これはいい企画ですね」、「今度はやめておこうと思います」
――こんな具合で取捨選択ができるようになったのだ。言わば、経験が勘を育てたのである。 しかも、片野は無限の決裁権を持っている。即決で返事ができるようになっており、こういうことからもサイト側から一目置かれる存在になった。
ただし、片野が大手ホテルで働いていたならば、このようなことはできなかったであろう。たとえ片野が魅力を感じたサイトであっても、その出稿については稟議書を書き、上司の承諾を得て初めて可能になるからである。費用対効果も細かく弾き出していたかどうか……。
今度の北九州特集は、行けそうだ。間髪入れず、電話を入れた。 「もしもし片野ですが、先ほどの件、お受けしましょう。前回もいい反響が得られましたから。今度の特集では、もっと期待できそうですね」 企画の内容も良かったが、継続的に出稿しないと、効果が得られない場合もある。攻め続けよう――そうした判断もあって、快諾したのだった。(文:富田 昭次)
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