▶それは後輩としてやりにくかったでしょうね。高校時代の大先輩 が大学では 同じ1 年生ですからね。年齢的にも呼び捨てにすることはかなりハードルが高かったことでしょう。ところで、卒業後、東京ドームに入社されたのはなぜですか。
4 年生のときグリークラブが、アメリカで開かれる世界大会の日本代表に選ばれたのです。4 年生と言えば就職活動の時期ですが、迷わず世界大会を選択しました。世界を舞台に立てる機会はなかなかないチャンスだったからです。4 年生のとき以外にも2 年生のときにはドイツやイスラエルなどにも行きました。4 年間の間でこれだけ海外経験できたこともとてもラッキーだったと思います。こんな状況ですから就職活動は世界大会を終えてからとなりました。そんなとき、キャンパス内の掲示板に東京ドームの求人情報が貼りだされていたことと、運よく人事にグリークラブのOB がおられ、何とか採用されました。
▶それはすごいですね。偶然とはいえ、グリークラブが軸となり人生の道が着実に開かれていきましたね。東京ドームではどのような仕事をされていらっしゃったのですか。
東京ドームでは東京ディズニーランドに追いつけ追い越せがテーマで、サービスの在り方や接客接遇の改善に取り組みました。東京ドームでのアルバイトの教育システムの改善について、立教大学の大学院で「非正規従業員によるサービス向上」と題して講義したこともあります。また1982(昭和52)年から2年3 カ月、経済産業省系列の財団法人「余暇開発センター」への出向。レジャー産業を学ぶという点においてとても有意義な時間だったと思います。この出向がレジャー産業研究会に入会したきっかけにもなりました。
▶「余暇開発センター」はどのような団体だったのですか。
日本における余暇活動促進を政府・産業界の面から支えることを目的に、当時の通産省が軸となり立ち上がったものです。官庁出身者に民間企業から選抜された者が加わり、「レジャー白書」の作成のための調査などを行ないました。この白書は日本のレジャー関連統計指標の権威として、特に消費者を対象としたマーケティングリサーチの市場動向参考データとして、多くに参照されています。このときレジャー・観光産業の学術的な草分けである立教大学の岡本教授と出会い、北陸の高級旅館やアメリカのホテルの視察や研究に携わったのです。岡本教授と出会えたことはとても貴重な体験でした。この出会いが縁で当時、東京ドーム(当時、後楽園スタヂアム)の社員であり、岡本教授の先輩でもあったレジャー産業研究会設立者の1 人である藤原博満さんから事務局を引き継ぐことになったのです。1986(昭和60)年のことです。当時の会員数は約50 人、私は何も分からないまま先輩の一声で事務局を引き継ぐことになったのです。余談ですが「余暇開発センター」の後任者として出向した山住昭博さんは現在、東京ドームの専務取締役・営業本部長として活躍しています。後輩のためついつい“山住”と呼び捨てしてしまいますが、後輩が出世していく姿は引き継いだ者としてとても光栄に思います。
▶視察や研究を通して「余暇開発センター」で得た知識はこれからのレジャー産業をけん引していく上で、研究会としても貴重な存在だったことでしょう。レジャー産業研究会では実際にどのような活動をされたのですか。
事務局長は初代小林善作会長、2 代目前田義博会長、3代目田中掃六会長の3 代にわたり担当しました。参加費として会費5000 円を集め、見学会やシンポジウムなどを実施し、事務局としての経理業務も担当していました。その後、4 代目春口和彦会長、5 代目田中掃六会長、6 代目藤原邦彦会長、7代目桜井淳一会長のもと企画委員長を務め、2 カ月に1 回、見学会やシンポジウムを企画、開催してきました。2009(平成21)年には春口和彦会長のもと「ジャパニーズホスピタリティシンポジウム」を開催したり、2011(平成23)年には会員の皆様にご協力をいただき「東日本大震災チャリティーオークション」を東京ドームホテルで行ない、オークションで集まった34 万円を放射能に関する研究をしていた福島大学に寄付するなど、社会貢献への働きかけも行ないました。何代にもわたり会長のもと企画に携われたことにより、会社の中だけでは知りえなかったレジャー産業界の本当の姿や、業界にかかわる多くの方々と知り合うことができたことは、私にとって何にも代え難い財産ですね。
▶常に調和を図っているからこそ、不測の事態においても皆様の協力を得ることができたのだと思います。個々のパーツを大切に思う合唱団ならではのハーモニー力ですね。
コミュニケーションを円滑にすることはとても大切なことです。定年退職後の立教女学院での6 年間も、設備管理の会社勤務ではありましたが、私に期待された任務は、ともすれば無愛想になりがちな技術職の人たちと学校側のコミュニケーションを円滑にすることでした。それは十分に果たせたと自負しています。企画力という点ではボランティアコーディネーターとして勤めていた昭和大学病院では「患者サービス向上委員会」の事務局を努め、毎月病院内でコンサートを開催したり、院内の図書室をより知ってもらい、活用してもうらおうと、職員・ボランティアから寄贈図書を募り、ワゴンで入院病棟へ運ぶサービスに着手しました。そのほか美術作品の展示や花壇の植物の植替えなど、病院内の美化に取り組んでまいりました。図書館の利用者はそれまでの2 倍に増えたんですよ。
▶さまざまな取り組みをされていらっしゃいますね。最後に次世代にひと言お願いします。
残念ながら、われわれの時代と違い、会社の経費で従業員を勉強させる余裕があるところは少なく、またわれわれがあこがれたホテル業界の現実も厳しさが増しています。“えっ、これがホテルですか?”と思わず言ってしまうほど様変わりしています。今後もますますホテルやホテルを取り巻く環境は急速に変化していくことでしょう。だからこそ、これからの業界を担っていく若い方々に、レジャー産業研究会を通じて人脈を広げ、業界の状況を勉強する機会にしていただきたい。私自身、この会に入会できたことで、素晴らしい出会いに多く恵まれ、心から感謝しています。
お問い合わせ先
㈱オータパブリケイションズ
URL:http://www.ohtapub.co.jp 担当:丸山/山下