ホテルは1つではない! さまざまなホテルがあり
生き方があることを学んでほしい
国内外のホテルに勤め闘い続けてきたのが大森泰治氏だ。ホテルの現場から開発にいたるまでさまざまな側面に関わりながら、ホテル業界の社会的地位確立にも貢献してきた。フィリピンでは日本人観光客が餌食にされている実情を解決するために徹底した対策をほどこすなど、度胸を据えた采配を振るってきた。立たされた現状をどのようにして解決していくことに取り組んできた人物だ。大森泰治氏にこれまでの歩みとホテルマンとしてのあり方などお聞きした。
レジャー産業研究会グループ8
大森 泰治氏
〈プロフィール〉1966(昭和41)年慶應義塾大学商学部卒業。同年4 月東京ヒルトンホテル入社。F&B サービス、ベルサービス、フロント会計、営業を担当。73(昭和48)年日本航空開発㈱(現ジャルホテルズ)入社。沖縄グランドキャッスル営業課長、マニラガーデンホテル宿泊支配人、ホテル日航大阪宿泊部長を経て、本社事業部次長、人事部長を担当。90(平成2)年EIE インターナショナル(Hotel Investment Inc.)入社。フォーシーズンズホテルニューヨーク、ミラノ、バリ開発担当。96(平成8)年横浜ベイシェラトンホテル&タワーズ宿泊部長・マーケティング部長。2001(平成13)年イシンナリタホスピタリティ(リーガロイヤルホテル成田)にて総支配人に就任。03(平成15)年森ビル㈱入社。Z4 推進本部ホテルプロジェクトマネージャーを経て、06(平成18)年㈱プリンスホテル取締役上席執行役員に就任、2013(平成25)年退社。
▶プロフィールを拝見すると国内外のさまざまなホテルで勤められ、さまざまな部署や開発に携わっていらっしゃいます。そもそも、ホテル業界に就職したのはなぜですか。
正直、なぜホテル業界を目指したのかは記憶がありませんが、当時、尊敬していた叔父に就職の相談したことがきっかけになったと思います。“これから富裕層で使用人を使ってゆとりのある生活をしているが時代が変わりお手伝いさんも減り、土曜日も休みになり休日が増えるだろうから宿泊業なんかの将来性はありそうだ”。という答えが返ってきました。御三家のあるホテルで働く学校の先輩に、なぜ? と質問したところ“ホテルのロビーで革製の深いソファーで足組んで、葉巻だよ、カッコいいだろ…”と。そんな話から“ホテル業はこれからいけるかも?”と思ったことがきっかけだと思います。
▶始めに就職されたのが世界的なスターのビートルズが宿泊された東京ヒルトンホテルですね。勤められていかがでしたか。
ホテルマンはユニフォームがありますので、スーツを着て出勤しなくてもいいですし、ランチも無料でいただくことができます。そしてまさに非日常的な空間であり、ヒルトンホテルの風土もとてもやわらかい感じでした。当時は1ドル360 円の時代でしたから、客層も優雅な方が多くいらっしゃいました。入社当時は「けやき」でバスボーイを勤めていました。お客さまのテーブルにつくことはできませんが、サービススタッフのためにテーブルセッティングをしていました。そんなとき、外国人のお客さまがケチャップを欲しいと手を上げられたのです。ところがその言葉の意味が分からず茫然としていると“大森くん、ケチャップを持っていきなさい”と先輩に言われたのです。そのときにケチャップという片仮名は外来語だろうが、英語じゃないんだ、を知ったのです。このことがきっかけで英語を学ばなくてはならないと思い、昼夜働く中で英語の勉強をしたのです。