中学時代に混声合唱団のハーモニーの美しさに魅せられて以来、多摩男声合唱団などさまざまな場で歌い続けている太田孝氏。早稲田大学に進学したのも男声合唱で実績誇る「早稲田大学グリークラブ」に入部するため。以来、㈱東京ドームへの就職にいたるまで合唱が軸となったという。レジャー産業研究会では1986(昭和61)年以来、約25 年間、歴代会長のもとで企画委員長を務め、まさにハーモニーを奏でるかのように支えてきた立役者でもある。
レジャー産業研究会グループ8
企画委員
太田 孝氏
〈プロフィール〉1947(昭和22)年9 月生まれ。兵庫県神戸市出身。73(昭和48)年3 月早稲田大学社会学部卒業。同年4 月㈱東京ドーム入社。75(昭和50)年㈱後楽園トラベルに出向、添乗員として勤務。82(昭和57)年経済産業省系列の財団法人「余暇開発センター」出向、研究員としてレジャー産業の調査・研究に携わる。83(昭和59)年4 月本社新規事業企画室に配属。千葉県市原市でゴルフ場の開発を行なう。95(平成7)年 サービスシステム部長・アルバイトセンター所長。2000(平成12)年11 月東京ドーム「ラクーア」プロジェクトチームに所属。02(平成14)年3 月㈱ドームファシリティーイベント管理部長を経て、07(平成19)年9 月東京ドームを定年退職。引き続き立教女学院( 整備室) に6 年、昭和大学病院( 管理課) に2 年勤務して、現在に至る。
厳しい時代だからこそポケットマネーでも 人脈を広げ、業界の状況を学ぶ努力を
▶プロフィールを拝見すると、男声合唱で著名な「早稲田大学グリークラブ」の外政マネージャーを務められ、現在も多摩男声合唱団の団長や、演奏会実行委員長として活動されていらっしゃいます。始めに合唱を始められたきっかけをお聞かせいただけますでしょうか。
合唱に目覚めたのは芦屋の中学で合唱団の練習を見たことがきっかけでした。男女混声でしたが当時は女性が30 人、男性が5 人という状況でした。合唱団が奏でるハーモニーがとても衝撃的で入部したのが始まりです。以後、高校、大学、そして現在に至るまで合唱団の一員として活動をしています。実は早稲田大学に入学する前は別の大学に通っていました。ところが、父の仕事の関係で入寮した学生寮で早稲田大学のグリークラブに所属している親友の話を聞き、何としてでもグリーラブに入部したいという一心で1970(昭和45)年に再入学しました。22 歳のときです。当時、合唱団の団長をしていた者が高校時代の後輩で、始めは “太田さん”と呼んでいたのですが、立場的に全体の統制がとりにくかったのでしょう、あるとき「先輩、“太田”と呼んでいいですか?」とお伺いを立ててきたこともありましたね。