さまざまな料理人がいる中で、一人一人が持つ苦悩と挑戦の数々の物語がある。ホテル・レストランの総料理長が食の業界や若手の料理人に向けて伝えたいことは何か。これまでの長い経験の中で、どのようなことに悩み、どのようなことを考え、どのようにチームを創り上げてきたのか。インタビューを通じて後継者育成に向けた取り組み、マネジメント手法などを探るシリーズ「料理人の教育論」を隔週連載でお届けする。
㈱ロイヤルオークリゾート
ロイヤルオークホテル スパ& ガーデンズ
総料理長
多勢真二(たせ・しんじ)
1958 年山形県生。78 年 専売弘済会「葵会館」から料理人としての歩みを始め、赤坂プリンスホテル、京都ホテルオークラなど、伝統と格式あるホテル調理の現場にて研鑽を積む。2012 年よりロイヤルオークホテル スパ&ガーデンズでの勤務開始と同時に、総料理長へ就任。現在に至る。
(所属団体)トックブランシュ国際クラブ正会員(1999 年~ )、日本エスコフィエ協会正会員(2012 年~ )、全日本司厨士協会会員
今を支える二つの経験
転機をつかみ取った一芸
―まずは多勢総料理長について、小さな施設から始まりホテルの総料理長という立場になられたわけですが、キャリアの中で感じられたことをお伺いできますか。
専門学校を卒業し、初めて勤務したのはホテルオークラ東京付近にあった葵会館という施設です。小さいながらも宿泊、レストラン、婚礼に対応しており、若いころからいろいろなことを学ぶことができました。そこから赤坂プリンスホテル(現ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町)の開業に合わせて、ホテル勤務を経験。お客さまの数やあつかう食材の規模の違い、またコスト意識や「ホウ・レン・ソウ」など、調理人としてだけではなく、組織人としての姿を学ぶことができました。その後もいくつかのホテル経験を経て、当ホテルでは総料理長として6 年目を迎えますが、葵会館と赤坂プリンスホテル、この二つの異なる経験が、今の私を支える土台となっています。
―当時はプリンスホテルと言えば、料理人からのあこがれがとても強かったと伺っています。
私の場合は大きな場所に移ることで、もっとたくさんのことを吸収したいという考えがありました。自分のキャリアについても、いつかは独立するか、一施設の長になりたいという思いがあり、先輩の手伝いをしては次、終わったら先輩のところに行ってまた次という感じでやっていました。時代も違いますし、今の人たちに長く働けということではないのですが、与えられた仕事以外のことを取りにいく姿勢というのは、いつの時代も「成長」につながる大切な要素であると思います。ただ今だから言えることですが、採用面接時の心境では、採用は絶望的だと感じていました。
―何か面接での失敗談がおありなのですか
そうではありません。本当に多くの、そして私より明らかに技術も経験も上の方が、同じように応募されていましたから・・・その差は人事の方の目から見ても明らかだったと思います。そんな中、葵会館時代に氷細工の技術を学んでいたこと。私はその一点を強みに、最終的には採用していただくことができたのです。
この連載の中でどなたかも近しいことをおっしゃっていましたが「ほかの人に負けない一芸を磨き上げること」、これは自分に対する自信のみならず、さまざまな挑戦を行なううえでも強みになるものだと、そのときの経験で知ることができました。