東京五輪が開催される記念すべき2020 年に創業30 年を迎えるのが、ウエディングプロデュース業を手掛ける㈱ユニゾンだ。起業当初は“ハーモニー”を意味する“ユニズン”としてスタート。歌手として芸能界を経験してきた杉浦功武社長の新たな一歩として音楽にかかわる言葉を社名にするとともに、常に先を見抜き数歩先のアイデアを創出し続けてきた。ブームに終わらないウエディングプロデュース業をやり続けてきた背景にある思い、考えをお聞きした。
福永 ウエディング業界においてプロデュース業が始まったのは、レストランウエディングが注目され始めたころでした。ホテルや専門式場とは異なる雰囲気や調理のスタイルが異なるレストランそのものの料理の魅力など、お客さまにより満足していただける新たなスタイルのウエディングが誕生しました。御社はウエディングのプロデュース会社として間もなく30 年を迎えようとされていらっしゃいます。はじめにこれまでの経緯をお聞かせ下さい。
杉浦 私は元々、芸能界で歌手として当時人気の歌番組などに出演していましたが、楽曲をめぐる問題や、あと一歩というところで大輪を咲かせることができない状況に終止符を打ち、ウエディング業界に転身をしました。1990(平成2)年12 月、㈱ユニゾンの名称で起業したのです。当初はテレビ局のイベントなどを手掛けていたのですが、安定的な収入を得ていくために注目したのが結婚式だったのです。当時はホテルでは毎週末に結婚式が行なわれていましたので、これまでの音楽仲間とのつながりを生かしてプロフェッショナルのミュージシャンや司会者、音響など、プロを紹介していく仕事を始めたのです。結婚式も多様化が求められる時代でしたので、さまざまな要望に対応していくうちに、結婚式を行なうために必要なパーツがそろったことから、当時はまだ注目されていなかったレストランウエディングのプロデュースを始めたのです。挙式から披露パーティまで一貫してコーディネートを行なうというものです。今ではレストランがウエディングの会場として使用されることは当たり前ですが、当時はホテルウエディングが主流でしたので、レストランで結婚式を行なうことは斬新だったのです。画一化されないアットホーム感覚が求められたのです。今思えば私の記憶の限り、おそらくレストランウエディング市場の口火を切ったのではないかと思います。