2015 年の外国人来訪者数は2000万人の大台にはギリギリ届かなかったが、それでも前年に比べると1.5 倍近い1970 万人に達した。しかし政府は2020 年に4000 万人、2030 年には6000 万人という目標を掲げている。現在は、各観光事業者・ホスピタリティ事業者ともに急増する来訪者の対応に追われている状況であるが、増加のスピードになかなか追いつけないのが現状である。特に、ハラール対応については世界的なレベルからすれば非常に遅れているといわざるをえない。
イスラム教の信者であるムスリムは、世界人口の約4 分の1 を占めているともいわれ、食の禁忌や礼拝の規定など、普段の日本人の生活とは異なる対応が必要とされる。政府、自治体ともに対応しきれていない状況で、困っているムスリムのために情報発信をし続ける守護氏に、現状についてお話しいただいた。
ハラール情報発信への道筋
徳江 いつもあちらこちらに行かれていらっしゃるご様子ですが、つい先日もまたご出張に行っていらっしゃいましたね。
守護 大分県に行っていました。別府周辺で、例によってハラール関連のサポートをしていました。
徳江 別府はAPU(立命館アジア太平洋大学)がかなり頑張っていますよね。
守護 あの辺は、自治体もかなり協力的です。大学単独ではなく、街全体が力を合わせて頑張らないといけないと思います。
徳江 それは私もとてもよく理解できます。一方で、本当の意味での産官学連携は、とても難しいと言うのが現状なのですが…。ところで、わが国におけるハラール情報提供の第一人者である守護さんのご経歴を、簡単にお話いただけますでしょうか。
守護 実は小学生の頃からの野球少年でして、大学も、国公立で野球ができるところということで千葉大学に進学しました。
徳江 なんと! スポーツ少年だったんですね。野球に明け暮れた青少年!
守護 実はそうなんです(笑)。大学時代は野球一色でしたが、大学卒業の前後でアルバイトをしてお金を貯めて、半年間、世界中を巡ってみました。
徳江 すごいバイタリティですね。どちらに行かれたのでしょうか。
守護 当時(2006年頃)は円安気味だったので、アジアが中心になりましたね。まず中国にわたり、陸路をずっとシンガポールまで行き、ミャンマーやカンボジアなどを経由してからヨーロッパへ、そこからトルコ、エジプトと旅をして、いったん日本に戻ってから、オーストラリア、ニュージーランド、北米、南米、そして帰国です。
徳江 うーん、本当に世界中を回ったのですね。うらやましい…その際に、ムスリムの方たちとの接点もできたというわけですね。
守護 はい、そうです。ただ、その後、社会人になってからの方が、むしろ直接的に今に至る出会いが多かったかもしれません。就職先が楽天だったのですが、そこでは楽天市場に関する事業をしました。社内には、エンジニアを中心に、やはりムスリムの方と接する機会が多く、その人たちが困っている姿を見て、「これじゃいかん」と思い、今の仕事をするようになりました。