25歳3カ月という若さで、バーテンダーとして初となるMOF(フランス国家最優秀職人)の称号を取得したマキシム・ウルト氏。その非凡な才能を発揮し、オトカーコレクションに加盟するパリの最高級ホテル「ル・ブリストル・パリ」に2012 年にオープンしたメインバー「ル・バール・デュ・ブリストル」において、革新的な技術と情熱によるサービスを提供している。
(聞き手:本誌・長嶋宏明 文:髙澤豊希 撮影:本誌・木下賀文ほか 取材協力:パレスホテル東京)
その後の人生を決定づけた一人のバーテンダーとの出会い
マキシム・ウルト氏がチーフバーテンダーを務める「ル・バール・デュ・ブリストル」のオリジナルカクテルの多くは、世の中に広く認知されているクラシックカクテルをベースとしている。その基本的なスタンスに立ちながら、ウルト氏はちょっとしたエッセンスを加えることでオリジナリティーを生み出す。
「ル・バール・デュ・ブリストル」のオリジナルカクテルの骨格をなす考え方について、ウルト氏は「再構築」という言葉を使う。伝統的なクラシックカクテルのベースを崩すのではなく、新しいエッセンスを注入することでその価値を再構築するという感覚が、パリにおいて圧倒的な競争力を持つ独創的なカクテルの形を実現しているのである。
さて、若くしてバーテンダーとしての才能を開花させたウルト氏のルーツはどこにあるのだろうか。当時7、8 歳だったマキシム少年は、自分の家族と両親の友人家族とともにスキー旅行に出掛け、ホテルに着くと、子
供たち同士で駆けまわって遊んでいた。しばらくすると喉が渇いたので、バーに行って水をせがんだ。
バーテンダーは子どもにもやさしかった。マキシム少年たちが何度水をもらいに行っても嫌な顔一つせず、グラスを差し出してくれた。好奇心旺盛だったマキシム少年がバーにあるものを指差して「あれは何?」と質問すれば笑顔で教え、水の中にシロップを垂らしてくれた。そして最後には、一本のマドラーをプレゼントしてくれたのである。マキシム少年はそのマドラーを大切に持ち帰ったという。
「そのバーテンダーとの出会いが、私の記憶の中にずっと残っていました」とウルト氏は述懐する。「バーテンダーというのは人をとても楽しく、幸せにしてくれる仕事なのではないかという思いが、漠然と頭の中に刻み込まれたのです」
学生時代からコンクールで連勝。MOFはそのキャリアの到達点
ウルト氏は飲食関係の職業訓練校に進学。12 歳から18 歳までの6年間、専門的な知識や技術を存分に学ぶ。学校ではバーテンダーの仕事のための講義に限らず、飲食業にかかわるさまざまなカリキュラムが組まれていたが、ウルト氏が入学時の目標を見失うことは一度としてなかったという。卒業時も変わることなく、バーテンダーに向けられた志は心の中にしっかりと存在していた。
学生生活最後の1年間は特に、バーテンダーになるための勉強をひたすら続けた。そのときに出会った先生が、ウルト氏のバーテンダーとしての潜在能力をしっかりと見抜き、さまざまなことを惜しみなく教えてくれた。「多くのコンクールに出場して賞を取りなさい。そのための準備をしなさい」と指導し、徹底的にサポートしてくれたのである。
先生の教えに従って勉強を続けたウルト氏は、学生、若手バーテンダー、プロのバーテンダーなど、各レベルのカテゴリーにおけるコンクールに出場し、あらゆる機会で優勝の栄冠を手にしてきた。MOFの取得は、そのキャリアの一つの到達点と言っていいだろう。
「出場を決めた時点で、コンクールの開催日に向けて準備をしなければなりません。準備が間に合わなければ絶対に優勝することはできませんから、時間的な目標に向かって計画を立て、進めていく必要があります」
コンクールの準備は、仕事をしながら続けなければならない。一日の仕事を終えて帰宅が深夜2時になっても、そこから本を開いて勉強を始めるのだ。ウルト氏は自分自身について、目標を決めたらそこに向かう計画を立て、実行する訓練ができている人間だと分析している。学生時代に培った基礎があるからこそ、コンクールに勝ち続けることができたのである。