人生はまさに障害物競争
障害のたびに反省、自己を
深く内観し自己改革を
本誌「週刊ホテルレストラン」でも月1回「ヒント満載!フラワーアーティストKAORUKONO の世界に乾杯」を執筆いただいているKAORUKO 氏。専業主婦に始まり、今やバリやモロッコ、イギリス、中国など世界を舞台に、日本を代表するフラワーアーティトとして活躍している。“これまでたくさんの涙を流しました”というKAORUKO 氏。涙を流すたびに人間改革を自ら行ない歩み続け、変化し続けている。KAORUKO 氏にこれまでの歩みとその中で得た人材育成についてお聞きした。
福永 KAORUKOさんはウエディング業界におけるフラワーアーティストとして国内のみならず海外でもご活躍されておられます。まず始めに今日に至るまでの経緯を教えていただけますでしょうか。
KAORUKO ウエディングフラワーを手掛けたのは私自身の結婚式がきっかけです。30 年前の結婚式では披露宴会場を飾る花をABC から選択するというものでした。一生に一度の大切な結婚式で費用もかかるのに、自由なフラワーアレンジができないことに疑問を感じ、専業主婦のときにご近所のママともを集めてフラワーアレンジの教室を開いたことに始まります。約25 年前に横浜のゴルフ場隣接のガーデンウエディングや専門式場との契約を結ぶことができ、年間2000 組の結婚式を手掛けました。ところが、生徒であったマダムたちにとって朝5 時起きの仕事はきつく、お子様もいらっしゃいましたので、お子様の急な発熱で現場に入れなくなったりなど、安定的な人員確保が難しい状況となりました。
福永 お花の仕事は、自分たちよりお花の保管環境を第一としなければならないので、寒い冬場での水仕事などは、厳しい環境となります。また、婚礼の日は準備で朝も早く、趣味でお花が好きというだけではできないでしょう。
KAORUKO ご近所のママともでしたのできついことも言えないまま、いつもニコニコしてご機嫌取りをしている自分がいました。当時、生徒さんに1 万円で修了証をお渡ししていたのですが、“なんで無名のKAORUKOさんに1 万円払わなければならないの?”という声も聞こえてきました。そんなとき、ウエディングドレスデザイナーの桂由美先生との出会いがあり、桂由美先生のファッションショーやパリコレのショーステージで起用されたのです。するとメディアを通してKAORUKO の名前が一気に広がり、今もてはやされている弁護士やドクターなどの文化人タレントの走りとして、芸能人的な活動も始まり、テレビにも出演するようになったのです。名前が知れるようになりファンが増えていく中で、現場で学べる「ブライダルフラワープロデュサースクール」を立ち上げました。結婚式の現場に入って実践で学び、技術や感性、危機管理や周囲とのコミュニケーションなどを身につけ、単なるアレンジではなくプロデュサーとして結婚式を創造できる人材に育てていくことを目標としました。私自身、お客さまのご要望を聞き、一人一人すべて異なるウエディングステージを提案し続けてきましたので、その姿を見てプロとして成長させていくことが、その人の人生を変えるため、楽しくするためにも必要であると確信したのです。