福永 そもそも、なぜ素人ばかりのボーカルグループを結成しようと思われたのですか。
寺尾 2000 年、ゴスペルグループのリードボーカリストとして芸能界デビューをして人気の音楽番組に出演したりしていたのですが、1 年で契約解除されました。2002 年からシンガーソングライターとして音楽活動を始めていたのですがある方から”歌は確かにうまいけど、最高のアマチュアだね”と言われたのです。とてもショックでした。そのとき、売れるってなに? と考えるようになり、音楽を通じてはげましたいという部分と有名になって稼ぎたいというよこしまなことがよぎるなか、教え子たちの10 チーム150 人のコンサートが終了したあと、2 人からメールが届いたのです。一人はパニック症候群を持つ精神疾患者、もう一人は若干発達が遅れている知能障害者です。二人とも”歌が生活の中にあって良かった”というメッセージでした。このとき、心にストンと落ちたのです。大人が夢を見れる生活をすることで、子どもも夢をみることができる。そんな環境を歌を通じて作っていきたいと思ったのです。夢、つながり、そしてその先に成長があることを、一人でも多くの方に感じていただきたいと思い、2007 年に立ち上げ、現在は東京、大阪、名古屋、南三陸を拠点に50 チームまで増え、各チーム単位や地域単位で練習や音楽活動を行っています。音楽指導は同じマインドを持つ8 人の講師が行なっています。活動に関心を寄せていただき、谷村新司さんや、中西圭三さん、ジャニーズ系に楽曲を提供している方々の協力も得られるようになりました。ゴスペルメンバーの中には12歳で子どもを亡くされた母親やハンディキャップをお持ちの方、日々親の介護に追われている方などさまざまです。歌うことでやりきれない自分の気持ちを紛らわしたいという思いで参画されたのだと思います。
福永 人前で歌うこと、喜びを表現することで、悲しみの世界や自分自身の殻を破り、あらたな自分、人生、生きがいをみい出しているのですね。笑顔で歌っているうちに自身が変化し、その変化によって周りの方からの見方も変わり、ますます自分に自信が持てるようになっていくのですね。その自信が笑顔であり歌声であり、素人の集団でも多くの人々に大きな感動を与えているのだと思います。
寺尾 あるとき、眼鏡をかけている女性がいて”すっごいきれいやん。眼鏡はずした方がもっときれいになるで”と声をかけたら、翌日、眼鏡を外して練習にきました。わずかなことですがこれが変化の一歩です。自分に自信を持ち、これまでの自分を変えていきたいという思いから眼鏡を外したのです。人に認められる、歌を通して人に喜ばれる感動はとても大きなものとなって返ってくるのです。だから、いつも笑顔で楽しい表情を絶やさないことが大切なのです。どんなに歌が上手でも年齢や入団した年数が長くても選抜されません。歌をうまく自分のために歌うのはなく、お客さまに幸せを感じていただくために歌う気持ちがない限り、大きなステージに立つことはできません。人数が増えるほどに、ジャッジに対して不満の声をあげているという声も聞こえてくるようになりました。中には“なんでお前が選ばれるねん”と人間関係の中に緊張感が生まれる事もあります、でもそれはいいことです。心が揺れることにより、自分自身のことを見つめるようになるからです。次に選ばれるためにはどうすべきかを考えるようになります。つまり、今の自分と向き合うことができるようになります。向き合って何が足りないのか、何をすべきかなど自身を見直していこうと前向きな姿勢になります。これがまた自己成長となるのです。
福永 お互いにいい意味でライバルとして刺激しあい、成長していくことは素晴らしいことです。そして、ますますもっと歌がうまくなりたいと、ステップアップを望まれる方もいらっしゃるのではありませんか。
寺尾 歌を練習する方々にはそれぞれの目標がありますので、もちろんすべてではありませんが、ステップアップを目指したい人に向けたクラスを設定し、つい先日、映像チェックと面接を行ないました。ある女性の方がとても目立つコーディネートをされていたので、“普段はどのようなかっこうをされているのですか”と聞くと、“ふだんはおばちゃんやねん〟と回答。これでは少し足りません。ステップアップを目指しているのであれば、普段からシンガーである自分を楽しんでほしい”という思いがあるからです。付け焼き刃ではお客さまを納得させ、お客さまに感動を当たることができません。常日ごろ、意識を持ち、魅力に真摯に取り組むことが大切なのです。そのためにも常に“今日のコーディネート、かっこいいやん。もっと、こうした方がもっと魅力的になるで”など、声を描けるようにしています。厳しくチェックしてるということではなく、いつも見てくれているということと、プロであれば常に見られていることを意識してほしいと思うからです。
福永 先ほど79 歳の方もいらっしゃると聞きましたが。
寺尾 はい、この方は発展途上国で行なっているソーシャルワークに関心を持たれ門戸を叩かれたのですが、なかなか楽譜が覚えられない、ついていけないことを悩んでいます。そんなときは“歌えない自分と逃げたらあかん。最後にニコーッと笑ったらええねん”と励まします。ニコーッという笑顔でなごやかなムードになります。ともかく”楽しい、楽しんでハッピーに”です。そして歌の練習やライブなどにかかる時間を認めていただいている家族への感謝の気持ちを忘れてはいけません。自分に、家族に、そしてお客さまに、仲間に喜びの蓄積を重ねること、これが感動を与える心からの笑顔となると思うのです。作り笑顔にはない、その人の今の喜びをそのままに伝えられる笑顔となるのです。
福永 一人一人の心からの喜びが一つの大きなかたまりとなり、ストレートに響く感動を与えてくれたのですね。幸せを具現化させているウエディング業界にもまさに必要不可欠なことです。皆が心から幸せを感じることができれば、小手先の道具を使わなくても感動し合えることができるのでしょう。歌を通じて、夢、目標を持ち、メンバーとのつながり、笑顔によって自身の殻を打ち破り成長できること、さらに、幸せの積み重ねができる環境を作り上げるための管理(声掛け)と、それに対して素直に取り組む姿勢など、とても大切なことを学ばせていただきました。本日は、ありがとうございました。
human note
リーダー
寺尾仁志 氏
1990 年代初頭 シンガーとして活動スタート。2002年 それまでのアカペラ、ゴスペルグループでの経験を経てシンガーソングライターとして活動を始め、現在までに4 枚のアルバムをリリース。1998 年からはラジオパーソナリティ―としても活動を始め、ラジオ関西、FM 滋賀、FM 大阪、FM 和歌山で自身の番組を担当する。2007 年human note を結成。メンバーは700 名で構成され、歌を通して人とつながり、ウタの持つ力で日本中・世界中をウタでつなげることをミッションとして日々歌い続けている。
㈱フェイス
代表取締役
福永有利子 氏
レストラン・ゲストハウスのウエディングプランナーから各現場の管理職としてマネジメントを担い、確実に業績を伸ばしてきた。2003 年にウエディングプランナー養成スクール講師をはじめ、06 年より大学にて非常勤講師として教壇に立ち、現在も教鞭を執っている。06 年堂島ホテル婚礼部長に就任、その後08 年同ホテル副総支配人に昇任。09 年には㈱フェイスを設立し、代表取締役に就任。現在は、ホテル・ゲストハウスを主に成約率向上を目的としたトレーニングや集客戦略立案・実践支援などのコンサルティングに加え、ウエディング全般にわたる支援を行なっている。著書・ウエディングプランナーじゃない、アカンのは上司や! 悩める管理職のアメムチ19 の育成術