2000 年代以降、わが国の旅館業界には「再生」というキーワードがかけめぐった。その背景としては、バブル期まで増え続けた旅館が、1990年代以降における消費者のニーズや欲求の変化に対応できず、急速に減少していったことが挙げられる。廃業した旅館を、さまざまな企業が「再生」していくことになったのであるが、それが急速に進んだのが2000 年代ということになる。
こうした再生を多くあつかう企業の中でも、中部地区に本拠地を置く、SPA & RESORT 海栄RYOKANS は、それまで働いていた従業員はもちろん、経営者層まで残すことと、それまでよりもむしろ価格帯を上げるという点で、ほかの企業とは一線を画している。
海外展開をも見据えた戦略の一端について、つぶれた旅館の再生とともに歩み、そして同社の将来を担う1人である、渡邉琢磨氏にうかがった。
徳江 最近も新規開業が続いていますね。
渡邉 近年だと、2012 年に四国で「ホテルアジュール汐の丸」をオープンさせたほか、「ホテル奥道後」をグループ化し、2013 年には富山県宇奈月温泉の「延対寺荘」もグループ化いたしました。また、2014 年暮れには愛知県西尾市の「吉良観光ホテル」もグループ化し、現在は「吉良観光ホテル吉良かん」として運営しています。
徳江 御社は再生案件を多く扱っていらっしゃいますが、最初に再生を手掛けたのはどこだったのでしょう?
渡邉 2002 年にオープンした愛知県南知多の「花乃丸」です。
徳江 ということは、それからわずか10 年ちょっとで、15 軒もの施設を運営する一大旅館チェーンとなったわけですね。
渡邉 すべてが再生案件というわけではなく、ゼロから開業した施設もありますが、気がついたらここまで広がっておりました。