左からエドワード・カールソン氏と平尾彰士
ビジネスの多くの成功者が、年を重ねて思うことがある。「今の自分があるのは、あの時、あの出会いがあったからだ」と。日本人で初めて、スターウッドホテル&リゾート日本・韓国・グアム地区社長に就任した平尾彰士氏。本連載を通して、平尾氏が経験したことをもとに、次世代の経営者や若いホテリエにメッセージを伝えていく。
前回(15 年12 月4 日号)は、京都滞在中のカールソン氏に会いに行くまでの話であった。今回はカールソン氏と京都国際ホテルで会ったときの様子を30 年後に出版されたカールソン氏の回顧録から一部引用して書いてみたいと思う。
「その青年(平尾)は海外で働きたいと言う。大学での成績は? という私(カールソン氏)の質問に対し、彼は即座にブリーフケースから成績証明書を取り出した。素晴らしい評価であった。次にリファレンスは? と聞くと、またもやブリーフケースから見事な推薦状のリストを取り出した。最後に、特に意味もなく健康について聞いたら、医師の健康診断書を差し出した。(その準備の良いことに)私は感銘を受けたのだが、何よりも感動したのは、彼が私と電話で話した後、フェリーと列車を乗り継いで、数時間かけて京都まで会いに来たと知ったときだった」
面談後、カールソン氏から、ワシントン大学大学院に入学、同時にウェスティンホテル本社のオリンピックホテルで研修を受けることを提案され即座に了承した。
読者はここで少し疑問に思うかもしれない。あの電報は誰が打ったのか?