崖に沿うようにして建っている望水は、エントランスが8 階にあり、その先にロビーとラウンジがある。開放感のあるラウンジからは太平洋を一望できる
きらりと輝く個性を持ち、まっとうな経営を行なっている宿がある。われわれは、そんな宿を伝えたい。本連載は、旅館総合研究所の重松所長が、自身の目で優れた宿を厳選し、取材し、写真と文章で紹介する連載企画。第四回は、伊豆北川温泉にある「望水」。ここは、笑顔と幸せの空気が充満する館。「自分たちは、お客さまの想い出つくりのサポーター」と考えているスタッフが集う宿だった。
取材・文 旅館総合研究所 所長 重松正弥
企画・構成 本誌 丸山和彦 ※関連インタビュー60 ページ
望水の売りの一つ「Private Gazebo」。全部で四つある。約100㎡の広い空間に、広々とした露天風呂がしつらえてある。当日予約制で、お客さまが貸し切りできる
チェックアウト前にお客さまのお車を洗うスタッフ。この洗車サービスも、スタッフからの発案であり、自主的に続けているものだという
朝食も、地場の食材や、地場の郷土料理をふんだんに盛り込んでいる
二つの出来事が、経営者である近藤氏を、そして旅館「望水」を変えた。
一つは、ある人にガツンと言われた「あなたは、社長としての想いの丈がなさすぎる」という言葉。それ以降、近藤社長はスタッフとの関係性をがらりと変えた。それまでの「経営者と従業員」という関係性を、自分のことをファーストネームで呼んでもらい、スタッフを「さん」付けで呼び、まるで家族のような関係にした。さらには、大げさに言えば、「スタッフの幸せ」を事業の目的としてしまった。指示することをせず、すべてをスタッフにゆだねてしまった。結果、スタッフはお客さまが喜ぶ新しいアイデアを次から次へと出し、自発的に行動するようになった。スタッフ同士で思いやり、助け合いの精神が生まれた。
望水を変えたもう一つの出来事。それは、あるお客さまとのエピソード。「死ぬ前にもう一度親子で望水に行きたい」と懇願された余命わずかのお母様を連れて、二人でご宿泊されたお客さま。母と息子の二人旅を楽しまれ、笑顔でお帰りに。その2 週間後、息子さんから手紙があり、そこには「母は、『あの温泉は最高に良かったよ』という言葉を最後に残して天国に旅立ちました。親孝行ができて本当によかったです。望水さんのおかげです。ありがとう」と書かれていたという。
その手紙を読んで望水のスタッフは気付いた。「お客さまはここに、大切な人との想い出つくりに来られる。だから、私たちの仕事は想い出つくりなのだ」と。
それ以来、望水のスタッフの仕事のスタンスは、一貫して「想い出つくりのサポート」になったのだった。
利益は事業の目的ではなく、スタッフとお客さまの幸せづくりの手段に過ぎない。そんなスタンスの経営が、旅館の、そして日本的経営の本来の姿なのかもしれない。
風呂につかりながら水平線からの日の出や、ムーンロードを楽しめる
望水のエントランス