新しいながらも歴史を感じさせてくれる佇まいの三郎丸蒸留所
一杯のお酒には、浮かび上がる風景や情景がある。記憶の中にあるもの、はたまたそうではないもの。グラスに浮かぶ憧憬はどこから生まれるのだろうか。シリーズ「味わいの原風景を探して」では、心に浮かぶ味わいが生まれる景色をお伝えしていきます。第二回は、三郎丸蒸留所で、【背景編】と【考察編(本記事)】の二つの構成でお送りします。
【砺波に思考を巡らせて】
背景編で触れたように、三郎丸蒸留所は砺波の地域資源をネットワーク化し、新しい価値を生み出している。その価値統合の様子を蒸留所の活動ではなく、砺波という地域の視点でとらえ直してみるというのが本記事の試みである。
背景編でも「砺波」という記載の仕方をしたが、現在の行政区分としての「砺波市」を指して用いている訳ではなく、1889年の礪波郡のような歴史的に「砺波」と呼ばれていた地域を指して用いている。(1889年の区分では高岡は射水郡に当たるが、後述する「加賀藩」や「浄土真宗」との関連も深く、庄川と小矢部川により形成された扇状地上にあるということで同一に扱いたい)
「富山でしかつくれないウイスキー」の試行錯誤と飽くなき品質への探求が感じられる
現代表取締役最高経営責任者である稲垣貴彦氏が「富山でしかつくれないウイスキー」へ想いを寄せ、富山から業界へと貢献していく姿がとても印象的だが、そこに富山や砺波という地の影響はないのだろうか。「富山らしさとは何なのか?」「富山という土地がどのように影響を及ぼしているのだろうか?」ということを、地域創生を踏まえて以下で考えていきたい。
【テリトーリオで見ることの重要性】
高齢化や過疎化に対し、地域創生の重要性が挙げられてから久しい。第2期「まち・ひと・しごと創生総合戦略」(2020改訂版)では、活力ある地域社会の実現のためには、多様な人材の活躍推進が欠かせないとされている(内閣官房, 2020)。
“地方創生が点の取組から面の取組に広がり、真に継続・発展していくためには、域内外にかかわらず、地域に関わる一人ひとりが地域の担い手として自ら積極的に参画し、地域資源を活用しながら、地域の実情に応じた内発的な発展につなげていくことが必要である。(内閣官房・内閣府, 2020, p.35)”
こうした事情を鑑み、地域振興の中核を担う地域組織や人材育成の必要性も指摘されている (田中, 2020)。
経営学の分野において、地域創生に係る手法としてはブランディングを用いるものが知られている (阿久津・天野, 2007)。地域ブランディングは、地域産品をブランド化するものと、地域そのものをブランド化するものに大別されるが(若林, 2014)、地域というあいまいさに加え、ステークホルダー間の合意形成が難しいという課題がある(和田他,2009; 小林,2016)。
また、地域創生における価値創造には、第三者の介在が必要であることも指摘されている(長尾他, 2018)。地域定住者は地域資源の価値に日頃から親しんでおり慣れているため、第三者による気づきが必要だという。この指摘は一理あるように思われるが、持続可能な発展を鑑みると、外発的なものばかりだけでなく、地域の実情に即した内発的発展が求められるのではないだろうか。
内発的発展論は、分析の単位を地域にする点に独自性があり、文化遺産を含む伝統のつくりかえの過程を重視する(鶴見, 1996)。こうした内発的発展を考える際に、地域とどのように捉えれば良いのか。その一つの回答が「テリトーリオ」だ。
“土地のもつ自然条件、あるいは大地の特性を活かしながら、そこを舞台に人間の多様な営みが展開してきた。農業、牧畜、林業、諸々の産業が営まれ、町や村の居住地ができ、田園には農場、修道院が点在し、それらを結ぶ道のネットワークもできる。長い時間の経過とともにそこに独自の歴史や伝統が蓄積され、固有の景観や地域共同体が生まれてきた。こうして成立する社会経済的、文化的なアイデンティティを共有する空間の広がりとしての地域あるいは領域が「テリトーリオ」なのである。(陣内他, 2022, p.11)”
つまりテリトーリオの視点では地域を行政区分ではなく、「1つの共通の社会経済的・文化的アイデンティティをもつ地域」として捉える(陣内他, 2019)。第2期「まち・ひと・しごと創生総合戦略」(2020改訂版)にある「地域資源を活用しながら、地域の実情に応じた内発的な発展」を考えるには、地域を行政区分で捉えるよりテリトーリオでとらえる方が適していると言えるだろう。これが「砺波」という視点で捉えてみるという発想に繋がっている。
【景観と歴史:庄川・加賀藩・浄土真宗】
では、「砺波」とはどのような地で、どのような営みや歴史的な堆積がある地なのであろうか。様々な要素があると思うが、ここでは大きく「庄川」「加賀藩」「浄土真宗」の3つに触れてみたい。「庄川」は景観、特に砺波平野への影響を考える上で欠かせない。「加賀藩」と「浄土真宗」は産業や文化的側面だけでなく精神的な面での影響があるように思われるからだ。
地理院地図で砺波平野を見てみると、飛騨山地から流れてくる庄川と小矢部川の堆積によってできた平野であることがよく分かる。川があるということは、治水が行われる以前は洪水などの氾濫が起こっていたことも想像が付く。井波や城端、福光、今石動といった地が昔から集落として成り立っていたのも、こうした地図からも読み取ることができる。古くから存在するということは、経済や文化面でも独特の堆積がなされてきたことが伺える。井波や城端に見える門前町としての雰囲気は地形からの影響に由来する面もあるだろう。
事、日本酒やウイスキーを考える上でもその影響は大きいように思われる。日本酒は、米、水、麹が原料となり、水が豊富にあることが欠かせない。日本中の酒蔵を考えてみても扇状地の影響を受けている蔵は多い。背景編で触れた、若鶴酒造の水に対する取り組みを考えてみても、庄川の影響が見てとれる。また、砺波平野を代表する景観である「散居村」や「カイニョ」と呼ばれる屋敷林も庄川の影響が見てとれる光景である。
「加賀藩」は庄川の治水だけでなく、産業面でも大きな影響を与えた。砺波は米どころとして百万石として名高い加賀藩を支えただけでなく、五箇山に代表される地で生産された硝煙、和紙や生糸、それらを加工して作られる絹織物の産地としても重要な役割を果たした。柳田国男の「城端は機の声の町なり」からも当時の産業を窺うことができる。文化的な面でも、城端に代表されるような曳山祭りは今でも残っており、「越中の小京都」とも呼ばれる風情を感じさせてくれる。
三郎丸蒸留所との関りという点では、高岡銅器と井波の木彫りは「加賀藩」による影響が色濃く出ている。高岡銅器は、慶長16年(1611)に前田利長が町の繁栄を図るために七人の鋳物師を高岡に招いたことが始まりとされており、浄土真宗の拡大に伴い、銅製仏具や梵鐘が作られた(長柄,2016)。井波の木彫りは、安永3年 (1774) 瑞泉寺の再建に際して、京都本願寺より御用彫刻師の前川三四郎が派遣をされた事からに端を発するが、その技術を受け継いだのは、加賀藩時代に前田利長から敷米を扶持された井波拝領地大工である(井波彫刻協同組合)。三郎丸蒸留所のウイスキーには「加賀藩」時代の産業を感じ取ることができる。
今挙げた高岡銅器や井波の木彫りにも「浄土真宗」の影響が感じ取れるが、形があるものだけでなく、精神的な面でも「浄土真宗」の影響があるように思われる。インタンジブルなものは測定が難しい。しかし、棟方志功や柳宗悦がこの地に影響を受けたことを踏まえると、そうした見えない何かがあるような気がしないだろうか。例えば、棟方志功の次の言葉がそうだ。
“いままではただの、自力で来た世界を、かけずりまわっていたのでしたが、その足が自然に他力の世界へ向けられ、富山という真宗大国なればこそ、このような大きな仏意の大きさに包まれていたのでした。(中略)その生活こそ、いままで思いも及ばなかったお助そのものの生活ではないでしょうか。(棟方, 1976, p.118)”
砺波と「浄土真宗」の精神性という点で調べてみると「土徳」という言葉に行き当たる。本林が指摘するように、「土徳」は柳宗悦が名付けたとされているが、柳自身の文章には見られていない(本林, 2012)。
厳かな雰囲気のある城端別院善徳寺(2015年1月筆者撮影)
本林は城端別院善徳寺と柳宗悦との関りから「土徳」を紐解き、『この「土地の風潮」と「徳行」が結びつくところに妙好人が育ち、「土徳がある」と柳宗悦は言いたかったように思われる。(本林, 2012, p.125)』としている。砺波には、そうした「浄土真宗」の精神性が反映された「土徳」があるのではないだろうか。
この柳宗悦の指摘は、冒頭で触れた第三者による目によって明らかにされたものだと言ってよい。今まで言語化されていなかったものが概念化されることで、新しく活用をしていくことが可能となる。
柳宗悦の文脈で、「土徳」と合わせて触れておきたい点がある。それが「不二」だ。柳宗悦は城端別院善徳寺にて民藝思想の集大成と言われる「美の法門」を書きあげた。その中に次の言葉がある。
“ここは二元の国である。二つの間の矛盾の中に彷徨うのがこの世の有様である。(中略)だがこのままでよいのであろうか。それを超えることは出来ないものであろうか。二に在って一に達する道はないであろうか。(柳, 1949)”
「不二」とは、自他が一つになるということではなく、二者が二者のままで数量的な一を超えた存在になることを指す(若松,2021)。なぜ「不二」に触れるかというと、後述する稲垣氏の活動には、自力を超えた「他力(他人任せという意味ではなく、自力を超えた利他の力)」や「不二」ということを感じることができるように思うからだ。「美の法門」が砺波という地で書き上げられたのを踏まえても、「浄土真宗」の精神性が砺波には育まれているように感じられる。
【テリトーリオ資源と精神性】
さて、前置きが長くなったが、上記のような砺波という地が持つ歴史的、文化的な価値が三郎丸蒸留所においてどのように反映されているのかを見て行きたい。
テリトーリオの視点から地域資源を見た際に、断片化されている地域資源がテリトーリオという括りの中でネットワーク化されることにより、高付加価値化が行われることが指摘されている(Belletti & Marescotti, 2020 ただし訳 木村・陣内, 2022)。個々で断片化されていた地域資源が、テリトーリオという見方によって新しい資源やシンボリックな形に統合されていく。
その一例として、筆者は以前この視点から山梨県の日本酒について研究を行ったことがある。水というコモンズを起点とし、コモンズが日本酒という地域資源に活用され内発的発展を遂げていく様子が確認できた。そしてワインと日本酒がそれぞれGI認定を受けたことによりテリトーリオ資源として「美酒美県」として統合されるプロセスが山梨県の事例では見ることができた。
同様のレンズで三郎丸蒸留所の活動を見ると、「高岡銅器」「井波の木彫り」や「アニメーション」といった地域資源が、「三郎丸蒸留所」という象徴的資源として価値統合が行われつつある段階であると見て取れる。
映画のモデル地として新たなファンとの交流も生まれるだろう
世界初鋳造製ポットスチル「ZEMON」による特徴的な蒸留、富山県産ミズナラ樽「三四郎樽」や猫の木彫り、そして2023年11月に公開された映画は地元のアニメーション会社との繋がりが形となったものとして見てとれる。様々な地域資源が三郎丸蒸留所と通じて統合されつつある状況だ。
また、稲垣氏の活動を振り返ってみても、上記の「ZEMON」や「三四郎樽」だけでなく、蒸留所を新しくするための「クラウドファンディング」やボトラーズ事業「T&T TOYAMA」においても「不二」や「利他」の精神が見られるように思われる。三郎丸蒸留所は一度火災を受けている。自力ではどうしようもなくなった際に、地元の人々の助けがあった。そうした思いがけない「他力」の重要性を経験し理解しているからこそ、他者と何かを為すということを積極的に行えるのかも知れない。
【富山らしさの相互作用】
冒頭に挙げた「富山らしさとは何なのか?」という点では、テリトーリオ資源として統合されていく三郎丸蒸留所のウイスキーがあり、「富山という土地がどのように影響を及ぼしているのだろうか?」という点では、稲垣氏の活動に「不二や利他」という影を見ることができるように感じる。つまり、富山という地とその土地に根付く企業が互いに影響を及ぼし合って、他にはないウイスキーがつくられていると見ることができるのではないだろうか。
後付けによる色眼鏡のようにも思われるが、三郎丸蒸留所や稲垣氏の活動をテリトーリオの視点で見た際に浮かび上がってくる背景は、富山でしか造れないウイスキーへの一つの理解を示し、稲垣氏の先進的な活動の一端を捉えることができるのではないかと感じている。
佐藤らが指摘するように既存事業の歴史的影響という見方もできる(佐藤他, 2022)。ウイスキーのように、初期投資だけでなく熟成にも期間を要するような事業において、初期アセットがある程度担保されていることは大きなアドバンテージでもある。個性という面でも、日本酒で培われた酵母のノウハウなど様々なメリットが考えられる。
その上で、「もし富山でなく他の地域で同様のことをしていたらどうだろうか?」と考えた際に、富山らしさの相互作用という面が感じられた方が、よりドラスティックな印象を残せるのではないかと感じる。
もし読者諸兄姉が本記事を読んで、少しでも砺波という地に想いを馳せ、そしてその地が育むお酒を通じて、日本の伝統と営みを感じてくれたら筆者としてこれに勝る幸いはない。三郎丸蒸留所が切り拓く日本ウイスキー産業の未来への期待と、日本全国にある酒蔵や蒸留所から新しい試みが生まれることを願いつつ両編の括りとしたい。
【参考文献】
柳田國男(1989)『柳田國男全集2』ちくま文庫
若鶴酒造 編(1968)『風雪五十年』
砺波市史編纂委員会(1984)『砺波市史』国書刊行会
阿久津聡・天野美穂子(2007)「地域ブランドとそのマネジメント課題」『マーケティングジャーナル』27(1), p. 4-19.
小林哲(2016)『地域ブランディングの論理』有斐閣
小林哲(2019)「2次データを用いた6次産業化の成果規定因に関する探索的考察」『マーケティングジャーナル』39巻1号, p. 43-60.
敷田麻実(2009)「よそ者と地域づくりにおけるその役割にかんする研究」『国際広報メディア・観光学ジャーナル』9, p.79–100.
陣内秀信・稲益祐太・Paolucci, Mateo Dario.・Gargano, Giuseppe.(2019)『アマルフィ海岸のフィールド研究―住居、都市、そしてテリトーリオへ』法政大学エコ地域デザイン研究センター, p.2.
陣内秀信(2022)「何故いま、オルチャ渓谷なのか」植田曉・陣内秀信・M.ダリオ・パオルッチ・樋渡彩 『トスカーナ・オルチャ渓谷のテリトーリオ 都市と田園の風景を読む』古小烏舎, p.9-20.
田中智麻(2020)「地方創生インターンシップを推進するための要件と課題」『観光研究』31巻2号, p. 25-36
鶴見和子(1996)『内発的発展論の展開』藤原書店
内閣官房・内閣府(2020)『第2期「まち・ひと・しごと創生総合戦略」(2020 改訂版)』, p.35.
長尾雅信・山崎義広・八木敏昭(2018)「地域ブランド論における外部人材の受容の研究」『マーケティングジャーナル』38巻1号, p. 92-107.
Belletti G. and Marescotti A.(2020) “Il ruolo delle reti per lo sviluppo del turismo rurale e la valorizzazione dei prodotti di origine”, in: Meloni B., Pulina P. (Eds.), “Turismo sostenibile e sistemi rurali locali. Multifunzionalità, reti di impresa, percorsi”, Rosenberg & Sellier, p.135-154. (訳 木村純子・陣内秀信 編(2022)『イタリアのテリトーリオ戦略』白桃書房, p.153-169.)
若林宏保・徳山美津恵・長尾雅信(2018)『プレイス・ブランディング:“地域”から“場所”のブランディングへ』有斐閣
若林宏保(2014)「地域ブランドアイデンティティ策定に関する一考察」『マーケティングジャーナル』34巻1号, p. 109-126.
若原幸範(2007)「地域づくり主体の形成過程」『日本社会教育学会紀要』43巻, p. 83-92.
和田充夫・菅野佐織・徳山美津恵・長尾雅信・若林宏保(2009)『地域ブランド・マネジメント』有斐閣
長柄 毅一(2016)「高岡銅器の歴史と化学」『化学と教育』, 64 巻, 10 号, p. 518-519
井波彫刻協同組合『井波彫刻とは―由来・歴史』
棟方志功(1976)『板極道』中公文庫
本林靖久(2012)「真宗の土徳と郷土の形成-柳宗悦と城端別院善徳寺の関わりから」由谷裕哉 編『郷土再考-新たな郷土研究を目指して』角川学芸出版, p109-129
柳宗悦(1949)「美の法門」日本民藝館監修(2011)『柳宗悦コレクション 3 こころ』ちくま学芸文庫, p.97-127
若松英輔(2021)「美と奉仕と利他」伊藤亜紗 編『「利他」とは何か』集英社新書, p.109-146
中島岳志(2021)『思いがけず利他』ミシマ社
佐藤 秀典, 徐 寧教, 三富 悠紀, 戦略転換への既存事業の歴史の影響, 赤門マネジメント・レビュー, 2022, 21 巻, 3 号, p. 89-104
担当:小川