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2021年8月6・13日号 トップインタビュー 新日本海フェリー株式会社 代表取締役社長 入谷泰生氏

トップインタビュー 新日本海フェリー株式会社 代表取締役社長 入谷泰生氏

【月刊HOTERES 2021年08月号】
2021年08月11日(水)
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フェリーの北海道航路の旅客のために港のある小樽に宿泊できるホテルを創った

----フェリー事業はいつから始めたのでしょうか。

 当社のルーツはもともと内航の貨物船の運航を行ってきました。はじめは内航海運で食品などの雑貨輸送を手掛けていたのですが、次第に運ぶものの種類や量が増えてきたため、内航海運の従来の輸送形態ではいろいろと不都合が出てきてしまいました。当時は日本経済全体が高度経済成長に入り、モータリゼーションが進んできたため、関西.九州間のトラック輸送のニーズを取り込もうと考え、トラックごとフェリーに乗せることで問題を解決しました。これが 1968年、グループ会社の阪九フェリーの就航であり、長距離フェリーの始まりでした。 

---新日本海フェリーが取り組んできた事業について教えて下さい。

 北海道〜関西のフェリー航路は 1970年から開始しました。北海道航路の物流も増えていったのですが、距離が 1000km以上と長かったので、その時間を短縮することで急ぎの荷物を取り込めないだろうかと考えました。

 従来は 3隻で 3日 1ラウンドのデイリーサービスをしていたのですが、航海時間が約 30時間掛かっていました。それを 20時間ほどにして、2隻によるデイリーサービスにできないか思案したのです。夜中に出発して翌日の 21時頃に到着、すべての荷物が 3日目の朝早くに届けられる形を構築すれば、北海道.関西の荷物を迅速に持ってくることができるということで、思い切って29ノット(時速約54km)の高速フェリーを1996年に導入しました。
 
  長距離フェリー航路で高速船を使ったのは当社が初めてですし、現在も他にありません。船を高速化するためにはエンジンを大きくしなければなりませんし、技術的にもハードルが高いということで、他社は最速でも 25ノットですが、当社は 29ノットで走るフェリーを造りました。

 高速船を使ったことで、関西を夜遅く出ると次の晩には小樽に着く形が出来上がりました。ところが夜遅くに着いても、小樽には泊まるところがありませんでした。自動車で行かれる方は札幌まで移動して宿泊できるのですが、自動車がない方は降りたはいいものの宿泊場所がないわけです。
 
  当時の小樽には大規模なシティホテルがなかったため、それならば当社がその受け皿となるホテルを創ろうということで、1998年に「オーセントホテル小樽」を開業しました。
  
  港からつながる日銀通りに廃業された百貨店の跡地があり、立地も良かったので、その土地を譲り受けてホテル用地にしました。開業当初から客室数は現在と同じ、195室でした。オーセントホテル小樽を開業するにあたっては大阪の朝日放送系のホテルプラザに立ち上げの指導をいただき、人材やノウハウについてもご協力をいただきました。

 

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