“ 生まれてから今日にいたるまで東急沿線に住み、なぜか109 東急(東京急行電鉄)に入社しました” と語るのが、東急一筋に国内外で活躍してきた加藤誠司氏だ。西オーストラリアの首都パースの最北端に位置する「ヤンチェップサンシティー」開発の功績は高い。加藤誠司氏の街づくりの基盤が世界を通じる人材を育成する「インターナショナルキャンパスシティ構想」が始動するきっかけとなったからだ。“ 慶應義塾大学109 期生、東急の109 など109 に縁があり、死する109 まで走り続けていく”という加藤誠司氏のグローバル人生をお聞きした。
加藤 誠司氏
〈プロフィール〉慶応義塾大学卒業後、東京急行電鉄㈱入社以来、7 年前の退職まで勤める。入社当初はマンション担当。後に天皇陛下の御所を設計した内井昭蔵氏とも仕事で関わる。2 年後、海外部に。25 年間の間、オーストラリア・パースとシンガポールに駐在。西オーストラリアの首都パース最北端、約50 キロにおよぶ「ヤンチェップサンシティー」はインド洋に13 キロ面し、山手線内側と目黒区を合わせたほどの区域で街づくりに取り組む。パースでは美智子皇后陛下様のお父様をご案内した経験も持つ。シンガポールではパンパシフィックホテルのオーナー会社の社長として6 年間駐在する。手腕・五島昇会長の下でアメリカ西海岸、ハワイ、アジア、オーストラリアなどを回遊し、五島昇氏の夢とロマンをともに追いかけてきた。現在は培ってきた人脈を生かし、環境健康に良いビジネスやボランティア活動に関わっている。
▶プロフィールを拝見すると、大学卒業後就職して以来、退職されるまでの50 年間、東京急行電鉄、通称「東急」一筋に勤められています。最近は転職することが美徳であったり、すぐに諦めてしまったり、会社都合であるなど、50 年間同じ会社一筋に勤めあげていくことはなかなかできることではありません。
世界を舞台に仕事をしたいという思うが強くあり、その思いを実現することができたことが、学卒入社から定年を迎えるまで一筋に勤め上げることができたのだと思います。当時は鉄道の建設や東急溝の口から先の田園都市線の延伸や、航空事業やホテル、国内外のリゾート開発など、2代目五島昇社長指揮の下、活気にあふれていました。買収により拡大した東急グループを再編し、本業である鉄道業・運輸業と関連性の高い事業に絞りこみながら、鉄道経営については父慶太氏が立案した通りに伊豆急行の建設や田園都市線の延伸を行ないました。最盛期にはグループ会社400 社、8 万人の従業員を数えました。