学習院大学経済学部経済学科を卒業後、45 年間にわたり藤田観光グループで観光事業に従事してきたのが、レジャー産業研究会グループ8 の第8 代目 田口泰一会長だ。消費者の声から宿泊特化型のビジネスホテルの事業モデルを築き上げた第一人者でもある。今や小学生たちがSNS やチャットで情報交換している時代。日々、急速に変化していく環境の中、まさにホテルやレジャー産業界の急成長を生き抜いてきた田口泰一会長にお話を伺った。
レジャー産業研究会グループ8
8 代目会長
㈱T.K Salling Coporation
代表取締役
田口泰一氏
〈プロフィール〉1947(昭和22)年9 月22 日東京生まれ。70(昭和45)年学習院大学経済学部経済学科卒業後、同年4 月、藤田観光㈱箱根ホテル小涌園料飲課に配属。73(昭和48)年本社企画開発部開発課、93(平成5)年椿山荘支配人などを経て、2001(平成13)年3 月、取締役兼事業開発戦略担当執行役員に就任。関係会社ワシントンホテル㈱取締役、藤田観光㈱常務取締役、取締役兼専務執行役員ワシントンホテルカンパニープレジデント、専務取締役兼専務執行役員事業本部副本部長など社内外の重責を経て12(平成24)年代表取締役副社長兼執行役員副社長ワシントンホテルグループCOO に就任、13(平成25)年顧問に就任。16(平成28)年㈱T.KSalling Coporation 設立、代表取締役に就任。
▶今号よりレジャー産業のさらなる発展に向け、またレジャー産業研究会グループ8 創業50 周年に向けて会員の皆様から熱きエールを読者の皆様にお送りいたします。第一回目は45 年間、藤田観光グループで観光事業に携われてこられた8 代目田口泰一会長にご登場いただき、お話をお聞きしたいと思います。まず始めに、田口会長が業界に飛び込まれたときの状況をお聞かせ下さい。
私が藤田観光に入社したころは大阪万博が開催され、1964年に開催された東京オリンピックに次ぐ、第二次ホテルブームのときでした。「京王プラザホテル(京王電鉄)」や京急電鉄「パシフィックホテル東京(京急電鉄)」、大阪では「ホテルプラザ(朝日放送)」など、電鉄系や報道関係がホテル建築に着手していました。戦後の日本経済復興、成長の過程の中でホテルおよび観光業は飛躍的に伸びていた時代でした。父は金融関係への就職を熱望していましたが、学生時代にレストラン関係でアルバイトをした経験から金融よりも接客業の方が自身に向いていると判断し、観光業に一歩踏み出したのです。藤田観光入社後、箱根小涌園料飲課に配属されたのです。当時、写真を中心に編集されていたアメリカの雑誌「Life(ライフ)」に箱根小涌園が紹介されたこともあり、平日はFTS の外国人(アメリカ人中心)、週末は日本人の慰安旅行などバス何十台という団体旅行や新婚旅行など、一日で2 千人もの方が訪れていました。外国人にはジンをベースにしたカクテル「シンガポール・スリング」や、日本人も含め箱根小涌園名物の鶏のから揚げが入った小涌園ラーメンが人気でしたね。