“名古屋にも国際級のホテルを作るべきだ”という当時の名古屋ロータリー倶楽部の会長であった伊藤次郎左衛門氏の提唱で1936(昭和11) 年12 月16 日に誕生したのが名古屋観光ホテルだ。開業以後、名古屋大空襲による営業停止や進駐軍に施設を接収されるなどの苦難を乗り越え、戦後は天皇家や各国の国王や元首が滞在するなど、“中部の迎賓館”という座を獲得。1972(昭和47)年12 月、黄金にかがやく外観が特徴の新館を開業した。ホテルとして80 年を越える歴史を刻み、中部の迎賓館として生き続けるための人材育成を森本審社長にお伺いした。
福永 開業されてから82 年目という歴史を刻まれ、その中で“中部の迎賓館”としての存在感が広く認知され、今日においても皇室や国王など国内外から要人がご滞在されていらっしゃいます。名古屋は世界を舞台にするトヨタ自動車や製薬会社などまさに日本の産業をけん引しています。近い将来、リニアモーターカーも運行するなど、活気づいています。その中で親子何代にもわたり支持され続けている御ホテルですが、そこで働く人材の採用から育成、職場環境改善などお伺いできればと思います。始めに御ホテルの歴史をお聞かせください。
森本 1928(昭和3)年、名古屋商工会議所が中心となりホテル建築構想がスタートし、1936( 昭和11)年12 月、地上5 階地下1 階、客室数70 室で開業しました。以後、第二次世界大戦にともなう名古屋大空襲で被災、戦後には進駐軍に接収されましたが、1956(昭和31)年12 月より営業を再開いたしました。営業再開後は昭和天皇両陛下、皇太子殿下、各国の国王や元首にもご滞在いただく機会を得、“中部の迎賓館”として今もなお、国内外のVIP が集うホテルとして運営しています。そして1972(昭和47)年、約2 年間営業を休止し、当時名古屋一の高さ(81.5m)とともに客室数505 室のまさに国際級のホテルに生まれ変わり、その後、開業60 周年を機に館内の大改装を行ない、客室数369 室とし、宴会場やロビー、フロント、レストランなど最新の施設にリニューアルを行ないました。2012(平成24)年より開業当初からの出資社である興和株式会社の完全子会社となり、現在の姿となったのです。