各地の開業に携わり、賢島で師に出会う
中村 それで実際に神戸北野ホテルでも働いたのですか?
谷口 北野ホテルがオープンするまでの3 年間はそのホテルで山口さんも一緒に働かせていただきました。それから神戸北野ホテルがオープンすると言われたのですが、そのときに「お前は人との協調性がないからでかいホテルで働いてこい」と大阪のホテルのレストランに半ば強制的に入れられました。その後、縁があって一時期東京にも出ていました。自分なりに頑張ってみたんですが、ただ結果として自分とは合わない部分があり、大阪に帰ろうと思っているときに北野ホテルから帰ってこいと声がかかりました。神戸北野ホテルがオープンして2 年目くらいだったと思います。
中村 合う、合わないは当然あることですけど、それも自分を育ててくれる一つの経験となるわけですからね。じゃあ北野ホテルも落ち着き、山口さんも頑張っていたころですね。
谷口 そうです。それからずっと北野グループなんですけど、でも実際に神戸北野ホテルで働いたのは9 カ月くらいのものでした(笑)。以後はずっと関連のレストランのオープンスタッフとしてあちこちを回らせていただきました。今にして思えばとても良い経験だったと思います。それで26歳のときに初めてフランスのベルナール・ロワゾーに行かせていただきました。ただ、ちょうどロワゾーさんがお亡くなりになって2 カ月後のことで、まだ落ち着かない状況でしたね。ビザも持っていませんでしたので、4 カ月間の研修を経て戻ってきました。そしてその後、神戸北野ホテルが三重県の賢島にホテルをオープンすると言われ、神戸のコート・ドールの初代シェフのジャン・ジャック・ブランさんがグラン・シェフとしてそこに出向かれることになり、僕も一緒に働くことになりました。
中村 それは良いチャンスをいただきましたね。さほど大きくない組織でフランス人のシェフとともに働けることで、生きたフランス料理が学べただろうし、なによりもフランス人シェフのプロ意識に触れられたことで、フランス料理の奥深さを知ることになっただろうから。
谷口 はい。そこでの経験がすごく大きかったですね。当時シェフはすでに70 歳くらいだったと思いますが、いろいろな日本の食材をアレンジして、朝から晩まで働き素晴らしい料理を作っていました。フランスでの話もたくさん聞かせていただき、「小さいころはこんなものを食べていた」「自分の生まれ故郷ではこんな料理がある」ということなど、さまざまなことを教えていただきました。
中村 それは谷口さんにとっても素晴らしいことだったと思います。おそらく、今の谷口さんの基礎を作ってくれた方だと思います。とても大切なことの一つとして、自分が若い時期にどんな料理人と、またどのようなシェフと巡り合えるかということは、大げさに言って、自分の料理人人生の方向性につながることで、とても大事なことになるわけです。谷口さんはそこでそのシェフと会えたということは、非常に大きかったことであると思います。自分もフランスで何人かの素晴らしいシェフとの出会いがあり、そのおかげで今の自分があると心底思い、それに対する感謝の気持ちを決して忘れたことはありません。
(part2 に続く)
第5 回 Part1
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第5 回 Part1 ホテルメトロポリタンエドモント 統括名誉総料理長 中村勝宏氏× L’évo(レヴォ) オーナーシェフ 谷口英司氏
【月刊HOTERES 2018年02月号】
2018年02月09日(金)