1990 年代、ゲストハウスの進出にともない“宴会・婚礼承り係り”から“ウエディングプランナー”に呼び名が変わり、女性たちの人気職種として一気に浮上した。会計上も宴会部門から切り離され単独で収支を算出されるようになった。ウエディング華やかしころはそれでも十分に通用したが、全国的に業界が低迷。ウエディングプランナーの精神的、労働的な負担はますます重くなっている。今後もなお環境の変化が著しい中、プロフェッショナルとして正しい知識を身につけるとともに常に時流をとらえた情報発信や新たな資格制度の確立など、絶えず変化する協会運営に挑んでいるのが、ABC協会 小原義之代表だ。
福永 ウエディングに携わる者の基本的な知識を身につけるためのABC 協会のブライダルプランナー検定は、専門学校や大学、ビジネスクールで浸透、定着されていらっしゃるようですね。始めにこのABC 協会とのかかわりなど経緯をお聞かせいただけますか。
小原 2001 年に渋谷にある専門学校から“業界で本当に求められる人材育成”について相談を受けたことに始まります。ブライダル業界はゲストハウスの進出にともない、ホテルの宴会担当者とは異なる専門職としての技術や感性を求めていました。基本的な知識はもちろんのこと、感性・人間性、接客応対能力などさまざまな角度からみて有能な人材です。相談を受けたとき、まずは現場を知る生きた授業をしてくださる講師陣をそろえるべきと提案し、私が全講師を改めて手配させていただきました。同じころ、ABC 協会の資格をすでに米国で取得されていた広島のドレス取引先専務からはABC 協会の教育プログラムや資格を学校に導入する提案をいただいたのです。
福永 アメリカはまさにパーティーの本場です。宴会ビジネスの延長ではないノウハウや技術の宝庫ですね。
小原 ご存じのとおり、アメリカではウエディングプランナーは一つの職種として確立されています。日本もホテルや式場に限らずさまざまなステージで自由な結婚式が求められることが予測でき、本場アメリカで生まれ、世界中にネットワークを有する最大規模かつ国際的に最も権威のある協会はグローバルな人材育成には最適ではないかと考えました。広島の取引先専務からも地元の専門学校について類似する相談を受けたことから、日本の学校で必要とされていることを実感しました。そこで、日本で協会のカリキュラムや資格を導入したいという提案を協会本部へした結果、2001 年11 月より協会認定校で授業を開始する運びとなりました。まさに最初は相談を受けた2 校のために始まり、本格的に始動したのは2002 年4 月、私が協会日本代表を任命されたときからです。
第88 回
Wプロフェッショナルズ 求められる人材を探る 第88 回 全米ブライダルコンサルタント協会(ABC 協会)小原 義之 氏 × ㈱フェイス 福永 有利子 氏
空間や商品だけではなく プランナー自身もセールス することが求められる時代に
【月刊HOTERES 2017年08月号】
2017年08月25日(金)
㈱フェイス 代表取締役 福永 有利子 氏
全米ブライダルコンサルタント協会(ABC 協会) アジア統括代表、協会認定マスター・ウェディングヴェ ンダー/㈱ソフィア通商 代表取締役 小原 義之 氏