さまざまな料理人がいる中で、一人一人が持つ苦悩と挑戦の数々の物語がある。ホテル・レストランの総料理長が食の業界や若手の料理人に向けて伝えたいことは何か。これまでの長い経験の中で、どのようなことに悩み、どのようなことを考え、どのようにチームを創り上げてきたのか。インタビューを通じて後継者育成に向けた取り組み、マネージメント手法などを探るシリーズ「料理人の教育論」を隔週連載でお届けする。
株式会社ニュー・オータニ 執行役員 調理部長 中島眞介氏
中島眞介(なかじま・しんすけ)
1958 年愛媛県生まれ。77 年ホテルニューオータニに入社し、79 年よりパティシエとして働く。93 年トゥールダルジャンのパティシエ シェフ ド パーティー(~ 95 年まで)。98 年ホテルニューオータニのシェフパティシエに就任。「パティスリーSATSUKI」を菓子のテイクアウトショップとしてオープン以降、史上最年少3ツ星シェフ、マッシミリアーノ・アライモ氏やアラン・デュカス氏、ピエール・エルメ氏らの厚き信頼を受け、各フェアでは常にパティシエの責任者を務める。2002 年米国ラスベガスで開催された「ワールドペストリーチャンピオンシップ」に日本代表チームとして出場し、総合入賞を果たす。08 年調理部門の責任者として、すべての料理を監修・指揮する。09 年東京で初開催された「世界パティスリー2009」において、日本代表チームの味覚審査員としてチーム優勝に導く。
「食材ありき」の具体的なやり方で
調理スタッフの心をつかんで動かしていく
—パティシエから調理部門の責任者にあたる調理部長に任命されたとき、どのような気持ちでしたか。
正直、最初は無理だと思いました。フルコースのメニューをフランス語で書くことすらできない私が、ホテルニューオータニの調理全体をマネージメントするというのは、非常に難しいミッションだと感じたからです。ただ、そのときに上司から「パティシエとして持っているものを使って、全体的な枠組みの中でコントロールしてくれればいい」と言われて心を決めました。細部で分からないことがあるのなら、そこは優秀な調理スタッフに任せればいい。そのやり方であれば、私でも役割を果たせるかもしれないと思ったのです。チームづくりにあたっては、まず自分と同世代、あるいは年下の調理スタッフにサポートしてもらう形で組織を作っていきました。昔は総料理長の特権だったメニューを、自分たちの手で書くことができる喜びが彼らの中に出てきたこともあり、うまくまわるようになっていきました。調理スタッフのモチベーションも、自ずと上がっていきました。