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第13 回 東出 江津子 Golden Keys 黄金の鍵 ~ Hospitality の世界から~ 

第13 回  コンシェルジュであるということ

【月刊HOTERES 2016年03月号】
2016年03月25日(金)
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東出 江津子
(ひがしで・えつこ)
Etsuko Higashide
〈プロフィール〉ザ・キャピトルホテル東急 エグゼクティブコンシェルジュ。レ・クレドール ジャパン 前会長。明治大学卒業後、センチュリーハイアットリージェンシーに入社。宿泊部業務全般とアシスタントマネージャー業務を経験後、本格的にコンシェルジュとしてスタート。その後、メリディアングランパシフィック、フォーシーズンズホテル丸の内東京、ホテルニューグランドでシェフ(チーフ)コンシェルジュ(管理職)の経験を重ね、2015 年7 月よりザ・キャピトルホテル東急に移り、現職に。1990 年、レ・クレドール インターナショナルより指導を受け、レ・クレドール ジャパンの創設のための勉強会を東京で主催。1992年よりレ・クレドール会員。

 
 何かことを起こし、その組織が成長していくには“Foresight”と個々の“Selfless efforts”が必要で、それを突き動かすのは“Passion”や“Curiosity”であろう。
 
 1790 年ごろ、秋田の砂防植林家、栗田定之丞が、砂の被害が大きい地域に砂防林用苗を植栽するため「ただで働いてくれまいか」と村人に説いてまわった。木に育つ目途が立つまで最低5 年。その日の生計がやっとの村人たちには近くの将来を考える余裕もなく、無償で力を貸すことに当初は難色を示したという。
 
 1990 年、育児休暇明けの私はロンドンの同じ外資系ホテルにいたレ・クレドールの当時のGeneral Secretary(事務局長)を頼り連絡。コンシェルジュの本質を学びながら、世界の仲間入りを夢見ていた。間もなく、レ・クレドールジャパン創設の準備と、日本のコンシェルジュの育成を目標に仲間を集めることを指示された。当初未熟な自分がレ・クレドールを語ることに躊ちゅうちょ躇があったが、今スタートせねばと恥を覚悟で関東44 社へFAX、都内の主要ホテルには参加を求める行脚を始めた。当時はまだよく知られていなかったコンシェルジュの本質や実態、横断的な組織でホテルの枠を越え助け合う姿勢、コンシェルジュ“個人”同志が奨励し合う点などの理解を得られず、一時はたった4 人で活動を続けていた。その後1995 年以降、コンシェルジュのセクションを常設する外資系ホテルの進出が大きな影響を与え、1997 年にレ・クレドールジャパンとして独立。2005 年には、コンシェルジュの国内の活動としての日本ホテル協会が発足し、現在に至っている。

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