創業者の瀧本金蔵は1858年(安政5年)に妻の佐多(さた)を伴って登別に入植。湯治のための湯宿を経て「湯もと滝本」として創業した。その後屋号を㈱第一滝本館に改め、北海道最古の老舗旅館として歴史を刻んできた。金蔵氏のおもてなしの精神を受け継ぎながら国内外のお客さまを迎えてきた第一滝本館は、コロナ禍を経て温泉という強力なコンテンツだけに頼るのではない新しい形を登別の地域とともに追い求め始めた。登別温泉のベストロケーションに位置する「滝本イン」を2023年、2024年の2回に分けて全室改装しリブランド。周囲に広がる自然とともに心からリラックスできるカジュアルなアドベンチャートラベルの拠点、「adex inn」として生まれ変わらせた。その隣には、登別温泉で唯一のアウトドアショップ「adex base」をオープン。オンラインショップと連携したギアショップとして展開するほか、専用ガイドによるツアー案内、「アドベンチャートラベルツアー」の予約・相談に対応している。温泉に加えて、さまざまな魅力によって人々に滞在してもらう町に登別を進化させる取り組みを続ける(一社)登別アドベンチャー協会(NAA)の代表理事も務める取締役会長のネイヴィン・マーク氏と代表取締役の南智子氏に、観光地としての方向性を大きく転換した登別温泉の挑戦についてインタビューした。
左から、株式会社第一滝本館 代表取締役 南 智子氏、一般社団法人登別アドベンチャー協会(NAA) 代表理事 株式会社第一滝本館 取締役会長 ネイヴィン・マーク氏
登別地域のインフラは年間400万人の観光客によって成り立っていた
——観光・宿泊マーケットが抱える問題点はどこにあると考えますか。
南 問題はさまざまにあるのですが、私が日本の各地域が抱えている最大の問題と捉えているのは人口減少です。
登別は2050年までに、2020年の42%人口が減少すると予測されています。しかも60歳以下の若い年齢の人たちは半分以下に減ってしまうのです。自分が生まれ育った町が消滅してしまう危機に対して、何ができるのかを考えることが最優先のテーマだと思います。
コロナ禍にお客さまがまったくいなくなってしまったときには、空港行きのバスがなくなり、地域を走るJRが減便になりました。店舗も次々に閉められましたが、その中には薬局もあったりして、住民の生活が非常に不便になりました。
そのときにすごく感じたのは、登別という地域のインフラは年間400万人の観光客によって成り立っていたのだということです。つまり観光客の滞在消費を増やすことによって地域人口の減少を賄うことができれば、町を維持できるのではないかという仮説が成り立つので、多くの人たちにロングステイしていただく方向性を追求するべきだと考えたのです。
登別にロングステイしていただくためには、従来のような1泊2食で温泉に入って帰るという形のままでは明らかに訴求力不足です。そこで町の中でできるコンテンツを考えて、アドベンチャートラベルや新しい食事処などを生み出すことにしたのです。
ネイヴィン 登別に対して私が最初に感じたのは、「どうして登別は温泉しか売らないのだろう」という疑問でした。登別は国立公園内に位置していて、70%が森林という自然の山に囲まれた地域であるにもかかわらず、アウトドアのコンテンツをまったく宣伝していないのはどうしてなのか不思議に思ったのです。
ちょうどそのころ、北海道に「アドベンチャートラベル・ワールドサミット」を招聘するというニュースが入りました。せっかくそのような機会が北海道に訪れたわけですし、登別の大自然やすぐ近くにある地獄谷というめずらしい地層などを活かすことで、アドベンチャートラベルをこの地域にフィットさせるべきだと考えました。
一般的にアウトドアやアドベンチャーと聞くと、車で時間をかけて山奥に入っていくイメージがあると思います。その点、登別は空港からも近く、1日4000人に対応できる宿泊インフラが整っています。
私たちは特定の客層に限定するのではなく、あらゆる年齢層にアウトドアの体験を提供できるように、家族連れのビギナーが楽しめるコンテンツからハードコアと呼ばれる上級者向けのコンテンツまで、多種多様なアドベンチャーを用意しています。
ビギナー向けとしては第一滝本館が所有する森を舞台に、子どもたちが安全な環境でアウトドアを楽しみ、学ぶことができる「プライベートフォレスト」を始めました。
アウトドアが好きな人たちのためのコミュニティーを創りたかった
南 2024年夏に全室を改装することで、カジュアルなアドベンチャートラベルの拠点「adex inn(アデックスイン)」としてリニューアルオープンしました。アドベンチャーに適したリブランドをしているので、これまで別々に販売していた旅行とアドベンチャーをパッケージにして売っていこうと考えています。
さらに私たちは「adex base(アデックスベース)」という登別で唯一のアウトドアショップで、ツアーともにアウトドアグッズ、ウェア、道産メーカーのスノーブーツ、オリジナル商品などを販売しています。
また、登別の観光協会である登別国際観光コンベンション協会、登別市の観光経済部は、ともに私たちと同じ問題意識を持っていらっしゃいます。商工会議所、旅館組合、地域のバス会社、病院、のぼりべつクマ牧場などが集まって、私たちは「(一社)登別アドベンチャー協会(NAA)」を立ち上げ、観光庁の補助金をいただきモニターツアー等を行いました。
——アデックスインにリブランドした理由はどこにありますか。
ネイヴィン もともとあった約50室の「滝本イン」を改装することで、adex innは誕生しました。adexは「ADventure EXperience」の頭2文字をとった造語で、アドベンチャートラベラーに選ばれるホテルとなっています。
アウトドアを楽しむ旅行者は、荷物がとても多いのが特徴です。靴だけでも何足も持ってくるなど非常に多くのギアを持ち歩くので、客室はとてもシンプルな造りにして大量の荷物を置くことができるスペースを確保したほか、ハンギングウォールによってさまざまなものを掛けられるよう工夫しました。外歩きをして濡れたギアやウェアを乾かすためのドライルームも設置しています。
私たちはadex innによって、アウトドアが好きな人たちのためのコミュニティーを創りたかったのです。登別でアドベンチャーを楽しむ人たちがお互いに行った先の情報交換をしながら会話をしてもらうほか、写真を見せ合うためのプロジェクターを設置した「メディアルーム」も創りました。
アドベンチャートラベルをする人たちは、たとえば「朝日が観たい」といったニーズがあることから、行動時間が一般の観光客とは違います。決められた時間で1泊2食のサービスを提供する形は難しいと思ったので、自由に食事ができるように1階にオールデイのカフェを開きました。
さらに腕のいいパン職人と出会えた私たちは、ベーカリーの展開も始めました。またおいしいフルーツを食べていただきたいと考え、和歌山県に本店がある「観音山フルーツパーラー」のフランチャイズ店を2024年12月27日に第一滝本館内に開業しました。
登別を活性化したいという思いから始めた 事業が地域に理解されたことがうれしい
南 2025年1月16日、第一滝本館に北海道に所縁のある漫画を集めた「MANGA ROOM」を新設しました。これまでアドベンチャーツアーやベーカリー&カフェなどのアウトドアコンテンツを充実させてきた滝本グループですが、インドアで楽しむ時間も創出したいと考えています。私はこのごろ、「住観共用」というコンセプトについて考え続けています。登別の住民と観光客の両方に喜んでいただける施設としてのスタイルを、常に考えているのです。人口減少によって地域のインフラが失われていく危機を回避するためにも、住民も一緒に使うことができる施設を増やしていくことはとても有意義だと思うからです。
ネイヴィン 私が1つ伝えたいのは、私たちがはじめに「登別温泉でアドベンチャートラベルをやりたい」と提案したとき、地域の皆さまはぴんときていなかったということです。温泉という圧倒的なコンテンツがあるため、アドベンチャートラベルを登別で展開する必要性があるというイメージが持てなかったのだと思います。
2022年にNAAを設立して活動を続けてきたことで、2025年を迎えた今では登別国際観光コンベンション協会にもアドベンチャートラベルという温泉以外の魅力づくりに興味を持っていただけています。新しい魅力を広めるための補助金事業でも協力をいただき、新しい事業者も新規参入してくださっています。
すべては登別を活性化したいという思いから始めたことでしたから、地域の皆さまのご理解のもと、具体的な成果につながり始めていることをとてもうれしく思っています。
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ネイヴィン・マーク(Mark Navin)氏
オーストラリア出身。短い海軍を経て、豪政府で20年間勤務し、南極への三度の渡航(うち二度は越冬)や太平洋諸島での対外援助プログラムに参加。19年前に来日し、08年に南智子氏と結婚。現在は第一滝本館の取締役会長として、南社長と共に経営を支えつつ、(一社)登別アドベンチャー協会(NAA)や株式会社ADEXを設立、登別地域でのアドベンチャートラベルの周知促進へ力を注ぐ。
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南 智子(Tomoko Minami) 氏
1968年登別市生まれ。札幌南高校を経て、93年国際基督教大学大学院修了。コンサルティング会社勤務後、97年第一滝本館入社。 98年に取締役総支配人を務め、2005年に一度退社。不動産会社などで勤務後、13年10月に再度入社し、副社長に就任。同年12月20日付けで父の太郎氏の会長就任に伴い、初代滝本金蔵から数えて8代目の代表取締役社長に就任。16年に女性初の登別温泉旅館組合長に就任、19年4月まで務める。